“自己”の育て方を深掘りする-その13「当事者として脇役の言語や理論をどう使うか」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

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今日の一日一読は第一章の続きで、第二節の最後までです。今回興味深かったのは、佐伯先生が「非主体的(依存的当事者)」(57ページ)と「主体的当事者」(59ページ)の観点がそれぞれ違うことを具体的に取り上げていたことです。


当事者であれば、なんでもいいから思えばいいということが安易にすぎないことを示しているのが「依存的当事者」です。では、当事者の思いをどうアウトプットしたらいいのかという時に有効なのが「言語や理論」です。もちろん、この「言語や理論」が主役になってしまう危険性は常にありますから、組織人の中には言語や理論に頼らないことが重要だと考えている人もいるかもしれませんが、それではやはり部分最適におさまる恐れが拭えません。

「言語や理論は、日々の経験的な試行錯誤のしかたに一つの方向性を与えてくれます (言語以前に「思い」が大切だということさえも、言語で伝えられてはじめて気づくことができます)。

 自己形成のための試行錯誤にとって、言語や理論は主役ではありません。しかし、大切な脇役であるという理解は必要です。」(61ページ)