今日の一日一読は山田宗睦先生の「道の文化」の続きで「茶を飲み、花を生けるということ」と「家元制度を拒否する」でした。前回「道(どう)」と「道(みち)」の違いを明らかにしていましたが、山田先生がなぜ「道(どう)の文化」を嫌っているかが今回でよくわかりました。
前者の節の中で、山田先生は「道(どう)」がつく文化が必ずしも日本独自のものではなく、照葉樹林生活文化圏ではごく当たり前のものが多いことを指摘していました(参照39-42ページ)。
そして後者の節の中で、「道(どう)の文化」に典型的な「家元制度」の問題点を明らかにしていました。もともと広く行き渡っていた「道(みち)の文化」を家元制度によって特定の人物にのみ利用可能なものに独占していまっていることが指摘されています。
山田先生は家元制度の上に上がっていくためにはより多くの金を費やさないといけないという点を問題点として取り上げていましたが、根本的な問題として、家元制度のような排他的なものに「寄生して生きていこうという人間ができてきた」(43ページ)ことが挙げられます。
もちろん「道(どう)の文化」に関わるすべての人たちが悪いというわけではないと思いますが、その構造自体には大きな問題を孕んでいると言えます。
他方で山田先生がいう「道(みち)の文化」は「道(どう)の文化」のような問題点がないとしても、逆に漠然としすぎていて、十分に活かしきれているかどうかが怪しいです。どちらにせよ、いい気づきがもらえました。