二宮尊徳の桜町仕法を深掘りする-その1「なぜ取り上げるか」 | 問題意識の教材化(MIK)ブログ

問題意識の教材化(MIK)ブログ

今の「学び」を「〇〇のため」で終わらせずに、「〇〇とともに」にしていくために、問題意識を教材化して、日本の教育システムで閉ざされたものを開き続けます。

今日からしばらく二宮尊徳の桜町仕法に関する研究を深掘りしてみたいと思います。理由は中桐万里子さんと多くの経営者たちと取り組んでいる二宮尊徳研究会として10月末に桜町と今市の合宿を行うことになったからです。今市へは池上惇先生と一緒に訪問した以来になります。桜町という名前はもちろん知っていましたが、実際に町を歩くのは初めてです。


二宮金次郎が活躍するきっかけを作った町なので、一度じっくり深めておきたいと考え、自分なりにブログで取り上げてみたいと思います。



手掛かりにしたのはこの本です。いろいろ調べてみて、桜町という名前を出した本が意外と少ないことに驚きました。尊徳の偉業を語る上で桜町は決して外せませんが、それ自体を徹底的に深めた文献は案外ないのかもしれないとも感じました。


阿部先生によれば、桜町になぜ二宮尊徳の力を借りないといけない状態まで窮乏していたのかは、自明では無さそうです。私自身のうる覚えでは、桜町という土地は農業をするのに適した土地というわけではなく、決していい条件が揃っているわけでもないのに、桜町の人たちはそこに住み続けていたので、最初の頃は二宮尊徳との間の仲は悪かったと思います。ただ、阿部先生によれば、桜町自体がもともと貧しかったわけではなさそうです。


阿部先生の研究では桜町を仕切る宇津家が財政的に窮乏していったことがその後、二宮尊徳の力を借りる大きな要因になったと言えそうです。