9月17日の一読は山田先生の「道の文化」の中で触れられている「魯迅の有名な言葉」です。
「必ずしもすべてがわかっているわけではない、そこをある勇気のある人が、非常に研ぎ澄まされた感覚と、訓練された認識とをもって歩いていったなら、そのあとに道というものが画然とできあがるのだ」(11ページ)
今を生きる私たちはとかく「道」というものは生まれた時点で既に存在しているものだと思いがちですが、それは先人たちが歩いた結果でしかないことに気づくことができます。
ここで私たちがとる選択肢は大きく分けて、先人の道を後生大事に守ることと、新たな道を切り開いていくことになるかと思います。もちろん、前者があって初めて後者が成り立つことは明らかですが、前者ばかりに気を取られすぎると、先人たちの恩に報いることになるのかどうかは問われるべきことだと実感しています。