今日の一日一読は前回の続きで、松尾芭蕉に関しては最後の「へ 芭蕉の俳文」でした。前回「風雅の道」というのを芭蕉が求め続けていたことを岡田先生が解説してくれて、すごく共感できました。今回、「俳文」というスタイルの文章には慣れていないため、いまいちピンときませんでしたが、その文章の中に、風雅という言葉が出てくるだけで、芭蕉の想いを感じることができたと思います。
「「俳文」という言葉が用いられたのは芭蕉からで、それまで紀行文でも随筆でも、俳文という自覚をもって書かれたことはなかった。芭蕉は俳諧の文章を創始したばかりではなく、門人たちの俳文集を編纂しようとさえ考えていた。結局俳文集は芭蕉の手で編纂できなかったが、芭蕉没後、門人たちがこれを成し遂げている。」(214ページ)
岡田先生は「幻住庵記」と「紫門の辞」の一部分を紹介してくれていましたが、ちょうど現代語訳の中に「風雅」を入れてつくってくれてイメージが膨らみました。