京都 青モミジ100シリーズの大原 寂光院 | 京の一枚

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天台宗の尼寺で、山号は清香山、寺号を玉泉寺という。

推古二(五九四)年に、聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立された。


2000年5月に火災に見舞われた「寂光院」。

平清盛の娘、建礼門院が隠棲したとされる寺です。


火災で真っ黒に炭化した旧本尊は、今も重要文化財の指定を外される事なく、春と秋に特別公開されています。

宝物殿に展示されていた2000年5月9日付けの新聞の記事に釘付けになってしまいました。

記事の写真には、消火活動を心配そうに見届ける当時のご住職の姿が。

何百年もの歴史を積み上げたものを、一瞬にして焼き尽くす炎を前に、ただ見守るしかできない心中はどのようなものだったでしょう。

炎上する本堂から消防士に抱かれるようにして運び出される本尊の写真は、まるで黒焦げの人間の遺体のように見えてしまい、思わず目頭が熱くなりました。

事件当時、同じこの記事を見た事があるはずなのに…。

屋根が崩れ落ちるなか、唯一、本尊の地蔵菩薩だけが全身を焦がしたまま毅然と立っていました。

信仰は、形ではない。

これしきのことで、仏の慈悲は失われたりはしない。

地蔵菩薩が自らの身をもって示しているかのようにも見えます。

この事件を機に、今までにあちこちのお寺でご本尊にお尻を向けては庭の写真を撮るのに夢中になっていた人達も、寂光院に限っては、新しいご本尊をまじまじと見つめるようになったのではないでしょうか。

この放火事件は、2007年5月9日をもって時効を迎えました。

しかしながら、仏という存在は、その犯人の行いさえも許してしまうのでしょう。
 

青いもみじの下を清流が流れる水音の傍らで、しば漬け売りのおばちゃんとやり取り。

木々の合間から今にも声明が聞こえてきそうな、苔の海と寺院の風格ある佇まい。

この樹齢千年の名木も、本堂の火災によって痛みが激しくなり、遂に平成十六年夏に枯死した。

この庭園は幽翠で哀れに美しく、当時の余韻を残している。

本堂前北側の庭園は、回遊式四方正面の庭で、林泉・木立・清浄の池として表現され、幽翠な趣のこの名園は、特に石清水を引いた三段の瀧を玉だれの泉と称し、一段一段高さと角度が異なり、三つの瀧のそれぞれ異なる音色が、一つに合奏するかのように作庭されている。

また本堂手前右側にある大きな南蛮鉄の雪見燈籠は、太閤豊臣秀吉の寄進で桃山城にあったものを移した。



本堂の右手裏山には、建礼門院大原西陵が所在し、五輪塔の仏教式御陵として珍しいとされている。

さらに翠黛山には、阿波内侍をはじめとする歴代住職の墓地群が所在する。

自然と人の営みが溶け合う大原は、山里の素朴なのどかさを味わえる場所でした。
 



■アクセス

京都駅前から17・18番

■拝観時間

通常拝観時間:午前9時~午後5時[年中無休](※) 


■拝観志納金

本堂を復元し、ご本尊様に復元給仕し、平家物語の庭園を維持し、多くの文化財を保護する為に拝観冥加料として志納金を頂戴しております。

拝観者皆様のご理解を賜わりますよう、宜しくお願いします。

大 人   600円 

高校生   600円 

中学生   350円 

小学生   100円  


*すべて過去の写真です。