美弥良久の島・三井楽町
五島の歴史を語るとき、我々は遣唐使を抜きにしては語れない。それ程、遣唐使にとって五島はゆかりの地である。中でも三井楽町の柏港はその最後の寄泊地あり、船はここから大陸へ向けて出港して行ったという。
「遣唐之使、この停より発して、美弥良久の済に到る。これより発船して西を指して渡る」。 今を距る千二百数十の昔、奈良朝時代の人々が、祖国最後のこの地を、死をも覚悟で喰い入るように見つめたであろうその姿が、我々の胸を打つ。( ̄へ  ̄
三井楽町の丸畠農業
三井楽町の耕地は、火山の緩傾斜面を主とするため、山頂近くまで開発された
畑作農業が盛んです。 ( ・д・)/--=≡(((卍
昭和44年3月25日発行 編集発行長崎県市町村自治振興会
白ヶ浜・高崎港・柏港が自然に近い状態で残っています、φ(.. )
その頃の三井楽は“海の幸が一杯”でした。
byー昭和のおじさん
道路を挟んで右側の丘から
画面向かって右側が昔からの道路、右折すれば白ヶ浜海岸線を弁天さん経由で正山へ。
左側の道路は小生からすれば新しい道路で、風の便りによれば貝津線とつながっているそうです。おじさんはいっぺんも通っちょらんけんわからな~い詳しかっことは。 (´_`。)
白ヶ浜海岸沿いの道路と遊歩道
わぁ~ここも“きしゃなかヾ(。`Д´。)ノ”、生活排水の影響も多々あるであろうけれど、 一番の原因は港湾整備により対流不足を生じたためであろうか? 悲しい現実
道路前の公園、ここはぐっと奥まった海岸線で道路の左側まで砂地があり、そのまま川とつながり自然豊な汽水地であった。 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
見にくいでしょうが技術不足なのでご免! ( ̄_ ̄ i)
昔ほとんど無かった松の木がよく茂り自然豊かに見えるけど、三井楽は海が命。
写真は「フィシングコンカナ」ブログより
byー昭和のおじさん
50余年振りに見た! まだ在ったんじんね~うれしかね~ o(^▽^)o
この場所に行くには道はなく、真ん中がへっこみ両サイドに雑草が生えたとても細~い砂地の一本線だけが、丘の上まで続いていただけだった。
今日まで「海豚累代之墓」とは知らなかった、弁天さんの墓標は知っていたけど。
私が知っている戦後食糧難の時代、三井楽町民のタンパク供給源であったイルカ。
イルカは解体し、脂身・赤身をそれぞれ細く長めに切り塩を振り、ワラヒモを通して風通しのいい軒先で乾燥させ保存食にしていた。
脂身は薄く切り煮しめなどに、赤身は焼いて蒸しイモと一緒に食べたら最高![]()
今じゃ外人さんの考えで獲られんらしか、日本人の食文化なのに残念。 (#`ε´#)
供養の花を一輪供えます
Yonchi Photo ~五島の風景~より 月下美人
byー昭和のおじさん