昭和30年代の三井楽湾内と現在の変化は目をみはるものがあります。
湾内の著しい変化は自然環境の変化も生じさせています。
[三井楽星露五十年・平成2年11月]より (登旅館からの展望)
お大師さん、弘法大師さん過疎地化が進む三井楽の地に光を!
Yonchi Photo ~五島の風景~より
byー昭和のおじさん
昭和30年代の弁天さんと白ヶ浜
ジーと30分位見ていたらじわ~と涙が、子供ん頃んこっが浮かんできた。
弁天さんの向こうに見える岩、木に隠れている弁天さんの左先にあっ岩場フゥ~ (_ _。)
左下方ば見てっくだっはれ石造りん波止場ば、砂に埋もれていなかっ波止場ば。
櫓舟とポンポン船が三~四艘係留されっ、波止の上には縦網が三組干されている。
波止ん左側に広がっちょ岩礁は、子供に磯の楽しさば教えっくれた生きた教材であり、生活の糧を恵んでくれた豊かな場所じゃった。 γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
春・磯の季節になっとワカメに始まり小エビ、ミナ、クルクッ、ショコベンコ時々タコも。
海草や岩の間を団体回遊すっゴンゾゥ口ん周りにひげがざぁまかあってあっぱかった。
6月になったらひゃ~だこ獲りヨ!釜戸や風呂ん焚き口かっひゃ~(灰)ばカンカンに入れっ、竹で作った道具ば持って岩場さっいざ出陣じゃ。 (*^o^)乂(^-^*)
実りの稲穂と畦に咲いた彼岸花
Yonchi Photo~五島の風景~より
byー昭和のおじさん
自然が豊富に残っていたころのふるさと三井楽
Yonchiさんや川端さんが使用許可してくれた、今現在の写真を見て衝撃が走った。
砂浜の変わり様尋常じゃなかっ! ヽ(*'0'*)ツ
こん写真ばよ~見てくだっはれ (・_・ 三・_・)、防波堤も必要最低限の長さで漁業に差し障りは無かったはず。打ち折地区住民方々の人数は? 20名居るのかな~。
人が住んじょらんとこに長い波止場が、これじゃ白ヶ浜は自然浄化はできん。
ぶり漁
三井楽町は大型定置ぶり漁場4ヶ所を有し、その中でも三井楽港の入口にある
赤瀬漁場は昔から東洋一を誇っている。写真にある網持ちは実に活動的で壮観である。
ほん町は沿岸漁場が盛んで、ぶりのほかイカをはじめ雑魚・海老・あわび・さざえ・ウニ・海草など至るところが好漁場で、釣り客にも喜ばれている。
現在の五島沿岸は磯焼けがひどく、ヒジキ・テングサ・ワカメ・のりんふなどの海草が絶滅に近い状態と聞いています。
こんな風景は、二度と見られぬ夢の又夢かな~ Σ\( ̄ー ̄;)
byー昭和のおじさん
嵯峨ノ島断崖(火山海蝕崖) 天然記念物 昭和34年5月19日指定
嵯峨ノ島は三井楽半島海上4キロに丁度瓢箪を縦に割って伏せたような形をした周囲12キロ、面積2,82平方キロの小島であるが全島が溶岩と凝灰岩によって形づくられている。北の男岳が、151mのホマーテ(白状)火山、南の女岳が、130mのアスピーテ(楯状)火山でこの両種の火山が結合して出来た島である。
島の北西岸の火山断面海蝕が3座あり昔時爆発した火口の凄惨そのものの
内部構造が海上からよくみることができる。つまり南北両火山の噴出物が重なり合うさまや、火山拠出物の成層、拠出物を貫く岩頸、岩脈等が鮮やかな色をなし、高さ150m幅数百本の断層を明瞭に観察することができる学術的にも有名である。火山がこのように二つの頂上を結ぶ線で深く切り取られて、その断面をみせている例は国内では何所にもないのは勿論、世界でも珍奇であると云われている。
三井楽音頭 o(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o~♪
♪ハァ~ 波の背に背に灯りがゆれるョ 可愛いあの娘の手も招く
さけんでみたいな ソーレソレソレ
しのぶ火の岳 しのぶ火の岳 嵯峨ノ島
byー昭和のおじさん