美弥良久の島・三井楽町
五島の歴史を語るとき、我々は遣唐使を抜きにしては語れない。それ程、遣唐使にとって五島はゆかりの地である。中でも三井楽町の柏港はその最後の寄泊地あり、船はここから大陸へ向けて出港して行ったという。
「遣唐之使、この停より発して、美弥良久の済に到る。これより発船して西を指して渡る」。 今を距る千二百数十の昔、奈良朝時代の人々が、祖国最後のこの地を、死をも覚悟で喰い入るように見つめたであろうその姿が、我々の胸を打つ。( ̄へ  ̄
三井楽町の丸畠農業
三井楽町の耕地は、火山の緩傾斜面を主とするため、山頂近くまで開発された
畑作農業が盛んです。 ( ・д・)/--=≡(((卍
昭和44年3月25日発行 編集発行長崎県市町村自治振興会
白ヶ浜・高崎港・柏港が自然に近い状態で残っています、φ(.. )
その頃の三井楽は“海の幸が一杯”でした。
byー昭和のおじさん