観た。

観てしまった。

「関心領域」を。




ちょっと前に宣伝の動画が流れてきて、まんまと興味を持って観てきてしまった。


話は第二次世界大戦中。
ポーランドのアウシュヴィッツ収容所。
その隣で暮らす裕福なヘス一家の日常の話。
仕事熱心なルドルフ・ヘスがアウシュヴィッツの所長職から転属となるも、自宅での暮らしを大変気に入っている妻ヘートヴィヒは引っ越したくない。ルドルフだけが単身赴任するが、再びアウシュヴィッツに戻ってくることになる、という話。

ストーリーはこれだけ。
ただただ、平坦にとヘス一家の日常が描かれていく。


この上なく衝撃的だったので、思ったことをつらつら書き出してみる。



冒頭数分間、異様な重低音と真っ暗な画面が流れて、「あれ、これはエラーではなくて、そういう演出なの……?」という始まり。

これ、観客のチューニングをしているのかな。
音を聴け、っていう。
とにかく不安になる重低音が心配になる尺(3〜4分くらい?)で流れるのね。

劇中にBGMはほぼなし。
ひたすら環境音のみ。
それをしっかり聴けよ、と。

それから。
画面に映るのは、平和な家族のピクニック風景。
庭園と家の風景。
子どもが遊び、家の使用人たちはせわしく働き、母親は庭の手入れをし、父親の誕生会が開かれ。

そこに常にベース音のように流れる、不協和音。
その音は、何の駆動音なのか。

家の住人たちは、その不気味な音には関心がないかのように淡々と日々を過ごしている。


壁を隔てて向こう側の収容所で何が行われているかは一切画面に映らない。



時折壁の向こう側から聞こえる乾いた「パン」という音。


誰かの悲鳴。


煙突から常に湧き上がっている黒い煙。


庭に咲き乱れる花の肥料として庭に撒かれている灰。


子どもたちが泳ぐ川に流されていたもの。


遊びに来ていて、豪邸や美しい庭を賞賛していたヘートヴィヒの母親は、何に咳き込み、なぜすぐに居なくなってしまったのか。


全てに説明がなく、事実のみが映されていく。


画面は壁の外を捉えているのに、目が、耳が探してしまうのは壁の内側の音……というアンバランスさ。


でも、観ているうちに観客の耳にはその音が慣れてきてしまう……という頃合い。

ヘスは画面のこちら側に目線を向けるように立ち、しばし見つめてくる。

「お前たちもそうだろう?同じだろう」
と言わんばかりだった。


本作は、カメラを配置して遠隔操作で撮る、という撮影方法らしい。
そのため画面はほぼ定点撮影で引きのシーン。
人物の表情にクローズアップするようなことはあまりなく、ヘス一家の暮らしを「覗き見て」いるような感覚がする。
見ていいものなのか、見ないほうがいいものなのか。



「関心領域」というタイトルがよくできている。

関心領域(The Zone of Interest)とはドイツ語Interessengebietの訳語であって、ナチスのSSが使っていた言葉で、ポーランド・オシフィエンチム郊外にあるアウシュヴィッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った。

その「関心」という語に相反して、壁の向こう側にここまで無関心でいられるんだな、って。
特にヘートヴィヒ。

カナダ(収容者たちの所有物をおさめておく場所を指す語)から来たコートの試着をし、そのポケットに入っていた口紅をためらいも無く試し、ドレッサーの引き出しにしまったり。
ここが子どもたちを育てるのに良い場所なの、だからあなただけ単身赴任すればいいじゃない!みたいなセリフもあったように思う。

そして、わたしたちは彼らとどれだけ違うというのか。お前もこちら側にいる人間なんじゃないか?とよぎる。


最後。

エンドロール、恐すぎ。

断末魔?

サイレン?


「早く終わってくれ」とこんなにも願ったエンドロールを、わたしは知らない。

恐さに耐えきれなくなった観客たちが、エンドロールの最中に足早にシアターを出ていく様子が見えた。


二度は観たくない、けれど観て良かった作品となった。


この映画の肝はやはり音だと思うので、映画館級の音響を用意できる人以外は、もしこの映画が気になっているならば映画館で鑑賞するほうが良さそう。


もちろんのこと、観るならホロコーストの知識はある程度必須。


あと、ドイツ語分かる人なら聴こえてくる怒号の意味なんかも理解しちゃいそうだからなお良いかと。

わたしはというと、ドイツ語は第二外国語だったにも関わらず

Ich(わたし) と Kartoffeln(ジャガイモ)くらいしか分からないのでアレだった。


ちなみに本作の監督は、ジャミロクワイのVirtual InsanityのMVを撮った人とのこと。
一定年齢以上の人なら見覚えあるんじゃない?