イタリア軒に次回いつ宿泊できるか?
というより
「このような各都道府県を代表するような(新潟県を代表するような)老舗ホテルに
次回いつ宿泊できるか?」
分からないので
撮影できるもの
この目で見ることができるもの
写真撮影できるもの
全てをおさめてきました☆
上の写真
筆で書かれた文章
「我が同胞ピエトロ・ミリオーレを深キ愛情ヲ以て記憶シ 熱誠ヲ以テ日伊親善ノ為ニ
協力スル 新潟市民各位ヘ
西暦1938年ファシスト暦第十六年四月一日 東京ニテ
伊太利亜国王エチオピア皇帝陛下之特命全権大使
伊太利亜国民ファシスト党派日親善使節団団長 侯爵パウルッチ ディ カルボリ バローネ」
そして往時の写真
ファシスト暦・・
そうか
この頃ってイタリアはムッソリーニがファシスト党で独裁体制だった頃かな
ファシスト暦とはローマ進軍を起点とする暦ですね。
国家ファシスト党[注 1](こっかファシストとう、イタリア語: Partito Nazionale Fascista、PNF)は、かつて存在したイタリア王国の政党。ファシズム運動を掲げ、左右の超越を志向した独裁体制を構築した。
現在のイタリア共和国議会では民主主義に対する脅威として、後継組織である共和ファシスト党と並んで再結党が禁止されている("Transitory and Final Provisions", Disposition XII)。
そして上の写真
真ん中はイタリア軒に残る最古のレシピ集
1920年(大正9年)に記されたイタリア軒に残る最古のレシピ集
右側はイタリア軒弥彦遊園支店のメニュー
昭和20年代に弥彦遊園に支店を出した当時のメニューだそう。
この写真には説明文がついているのでいわずもがな。
新潟にこのような
「新潟の鹿鳴館」と呼ばれていた場所がありここで婚礼していた贅沢な方々がいたとは。
アメリゴ ヴェス ブッチ
と名前の付いた船
イタリア海軍の帆船なのだそうです。
今このブログを書きながらこの不思議な名前の由来を調べたら
(ウlキペディアより引用)
コロンブスと同時期の大航海時代、フィレンツェ出身でスペインに渡り、何度かの航海を行い、到達した地を探検して新大陸であることを明らかにした。新大陸に「アメリカ」の地名が付いたのは、彼の名に由来するといわれている。
(http://www.y-history.net/appendix/wh0901-031.html より引用)
私は世界史が全く勉強しておらず・・・
世界史学んだ方からすぐピン!とくるのでしょうが・・・
40歳
「また1つここで勉強!」
新潟の鹿鳴館
そう呼ばれていた時代からイタリア軒創業以来か新郎新婦にお使い頂いた椅子だそう。
今までもこれからもお二人の幸せを見守り続けて参ります。
ということは・・
今でも使われいるのだろうか?
幸せにあやかって座ってパワーをいただきたかったですがそれはこのように
無理でした(笑)
GHQ接収時代は指令本部として使われた大宴会場のロビーのシャンデリア
今はこうしてシャンデリアとしての役目を終えて展示されています。
手で触れることもできます。
木もそうですし、こういう歴史を経てきたもの達
歴史を体験してみてきたものたち
長い時間を経てきたものにはみな物言わぬ物体や植物であっても
「想い」がこもり
それを感じる
それが伝わる
だからできるなら触れることにしています。
そして朝食付きで5500円というこのクラスのホテルとしては信じられない価格
(私には5500円が上限ですが)
で楽しみにしている朝食会場へ。
その名も
「レストラン マルコポーロ」
世界史が苦手な自分のために記しておきます。
マルコ・ポーロ(伊: Marco Polo、1254年9月15日 - 1324年1月9日)は、ヴェネツィア共和国の商人であり、ヨーロッパへ中央アジアや中国を紹介した『東方見聞録』(写本名:『イル・ミリオーネ (Il Milione)』もしくは『世界の記述 (Devisement du monde)』)[1] [2]を口述した冒険家でもある。
(ウィキペディアより引用)
なんだからイタリアの教会にでもきたような気持に。
横を見ると船の中の窓を模している。。
そうか
ここは船の中という設定の内装なのかな。
おにぎりからして徹底してこだわっている!
まずこちらが頼んだらシェフが1つ1つ目の前で握ってくれます。
おにぎりの具も
「村上産の塩引鮭」
「亀田産の藤五郎梅干」
「新潟県産のやわ肌葱の葱味噌」
の三種類
最後にドカンと大きな情報
昔このイタリア軒にあの文豪
太宰治も来ています。
彼の作品にもイタリア軒登場するんです。
その作品と言うのは、、
みみずく通信です
お時間あったら是非お読みください、、




