まるで映画の中の世界だった。

ううん、映画でなくてもいい。

漫画でも、小説でも、ドラマでも、とにかく何でもいい。


現実とは思えない光景を。



その時まさに、僕は目にした。





しんと静まっているはずの見慣れた住宅街は既に沢山の人で溢れ返っていた。


パトカーの赤い光が住宅街を照らして異様な光景だった。


幼馴染の香織のお母さんが僕の姿を見つけて、



「大地君、来たらダメよ!見たら、ダメよ!」



と泣き叫びながら走り寄り、僕を強く抱きしめた。



お母さんよりもふっくらしてる香織のお母さんの腕の中は柔らかくて温かく、

すっかり湯ざめした僕の体を強く締め付けた。


おばさんの腕の中。

泣き崩れ力を弱めるおばさんの腕の中で僕は確かに見た。



それはこの世の中で一番見てはいけないもの。

それは、この世の中で一番見てはいけないもの。




公園へと走りながら強く僕は願っていた。



神様なんて心から信じたことはなかった。

だけど神様、

どうか、どうか、

僕からお父さんとお母さんを奪わないでください。

明日から、ううん、今すぐ、今から、僕は良い子になります。

だからどうか、僕から2人を奪わないでください。

僕のこの、不安な何かを感じる気持ちを勘違いだと笑ってください。

お母さんが玄関を出て行き、ガチャっと鍵を閉める音がしたのと同時に僕は110番を押した。



電話の相手はすぐに出た。



お父さんが帰り途中に不審者を見つけて急に電話を切った事、

それを聞いたお母さんが真っ青な顔をして包丁を持ってお父さんがいるだろう場所にかけつけた事。



状況を説明している内にどんどん泣けてきた。



「早く、早くお巡りさんも行ってください」



住所や名前、最寄の公園の名前を聞かれて答えた。


その後のことは今ではもう思い出せない。


鮮明に思い出せるのは電話を切った後のことだった。



お母さんが出て行ってから10分弱。


僕はどうしてる事もできなくて、ただただ部屋の中を早足でぐるぐると歩き続けた。




きっと、きっと大丈夫。


もう少しすればお父さんとお母さんが一緒に帰ってくる。



「いやぁ、びっくりしたよー!」



なんて笑いながら帰ってくる。





ただひたすら部屋の中を歩き続けて30分も経ってしまった頃だった。


パトカ-のサイレンが確かに聞こえて、幼い僕は一大決心をした。


お風呂上がりの、まだ乾かないままの髪の毛のまま。


すでに冷え切った肩を剥きだしのままのランニング姿で部屋を飛び出した。




夜の闇は想像以上に真っ黒で、小さな僕を飲み込んでしまいそうな気さえした。


じっとりと重い空気が体に染み込んで気持ち悪かった。

「───、だめよ、危ないから!そのまま真っ直ぐ帰って来て!」



いきなりお母さんが血相を抱えて叫び始めた。


お風呂上がりのポカポカした体でウトウトしていた頭が急に現実に戻された。



「大丈夫って、ちょっと・・・!」



どうやらお父さんが一方的に携帯を切ったらしかった。


お母さんが真っ青な顔をしてゆっくり僕の方を振り返って言った。



「お父さん、今駅からお家に向かってたんだけど、途中不審者を見つけたって言うの。

 どうやら公園の物影で不審者が女性に悪さしてるって言うんだけど・・・

 それを・・・止めに行くって言って、電話を切っちゃったの・・・」



お母さんは視線が定まらずに、手は小刻みに震えていた。



「大地、お父さんはああいう人だから、弱い者が困っていると助けずにはいられないのよ、

 分かるわよね・・。だけど、お母さん、なんだかすごく嫌な予感がするのよ。

 すぐそこだからお母さんも向かうから。大地はカギをかけてここで待っていて」


お母さんの話方から、緊張が伝わってきて僕は首を縦に振るのが精いっぱいだった。



「じゃあ行ってくるから。絶対に鍵を開けてはダメよ」



お母さんはそう僕に言うと、玄関に向かう前に台所の包丁を手に取った。


僕はその時、電話の向こうのお父さんが危機的状況にあるのを本能で感じ取って震えた。



「お母さん」


震え声で僕が呼びかけると、お母さんがゆっくり振り返り、ん?と聞き返した。


「警察に電話するから、それくらい、出来るから」


そう言うと、お母さんは「頼んだよ」という笑顔を残して家を出た。




梅雨明けを目前に迎えた夏の日。

夜中の1時すぎのことだった。