今は土台造りの時期
本格的な動きは全てが1ハウス以降に並び、
プログレスの月がアセンダント通過して12ハウスを終える5年後の
娘の誕生日あたり
そこから、本格的な現実として目に見えるかたちでの始まりを迎える
それまでは、イメージや想像力や準備期間となるので
現実ではあまりはっきりと具体的なかたちにはならずに
どこか進んでないような実感や達成感が得られずに
心や内面に葛藤やもやもやと不安や焦りを抱えることが多くあるかもしれない
でも大丈夫
全てはそこから始まる
全ては無から生み出されることを忘れずにいて
イメージ、創造力のともなわないものは
とても脆くあやういもの
その無である基盤こそが
物事を育む大事な土壌となる
豊かな土にこそ実り豊かな作物が育つように
土の中は見えないけれど、
そこが一番大切
どんな土に種をまくのか
その土にはどれだけ豊富な目に見えない栄養が詰まっているのか
この5年の間に
たくさん、たくさん肥やし
内側でのイメージや創造力という栄養をたくさん
蓄えて豊かに深めてね
今は具体的な部分がまだ見えなくて
不安かもしれない
どんなふうに進めたらいいんだろう
どうやって行動したらいいんだろう
何が正解で、何が正しいのか
でも感覚は全てを知っているから
大丈夫だと安心して。
あなたの全てのこたえが
感覚という意識を通して導いているから。
感覚をこそ、信頼して進んでね
どんなに周りが正しそうな言葉をかけようと
どれだけ正論で、ごもっともな、安心できそうなことを話していても
あなたの感覚にまさる正しい答えなんか他にはないこと
感覚は絶対に間違わないこと
感覚は120%のあなたにとっての正解であること
ときには恐いかもしれない、感覚の出す選択を選び進むことは、
周囲からの反応や意見や
押し通す勇氣
そういった周りの思いをきにする優しさや弱さがでることもあるかもしれないけれど
本当の意味でやさしく、つよくなるタイミングにも
来ていることもわかってね
相手の思いを推し量り、それを尊重しようと自らの想いをふさいでしまうのは
優しさなのか
自分の意識を相手がなんて言おうと通すことは
本当の意味でのつよさなのか
真のやさしさ、つよさとは
どういうものなのか
それを識っていく
頭で知るのではなく
考え体験を通して深く識っていく
それはこれからの続く長い人生
生きていくなかで
本当に心からの安心や
調和を育むあなた自身の宝であり、
美しい輝きとなる
たくさんのやさしく美しい光を
たずさえて
あなたの周りを照らしてほしい
だから今はどうか焦らないでね
ときが来るまで
季が満ちるまで
とことん内側を深く旅してね
すべてを愛おしんでね
不安も、恐れも、葛藤も、焦りも、
どんな想いも全ては創造へつながる道であり
一部である
全ては欠けてはならない
闇の中に光る輝きを
闇でしか見ることのできない美しさを
暗闇にさす希望の光に手を伸ばし
抱き寄せるように
内側に灯る光を、感覚を、
ともに歩んでね
それこそがほんとうに、
つよく、やさしい、
あなたらしい生き方となり
あたたかく光かがやくから
そしてなにより
自分自身を信頼して生きるその道は
とてもキラキラとかがやき
心がときめくように嬉しくなるよ
そう、生きることが喜び
ただ生きるということは こんなにも
嬉しくてたのしくて
こんなにも 深い幸せなのかと
人生に恋するかのような
至幸感
そうだった、、
生きることを喜びたいんだった
ただただ、歓びに生きたい
なにを成し遂げたいとか、
なにかを得たいとか
達成感よりも
純粋に生きるよろこびを感じ
生きるということが
よろこびやたのしさであることを 思い出したい
人生はもっともっと
楽しく やさしく 嬉しいものだ と
人はとっても
あたたかく かわいく やさしいものだ と
心がウキウキと
毎日がただときめいている
生きているというだけで
この地球に存在しているということが
たのしくて うれしくて かがやいている
これ以上のよろこびって ないんじゃないか
ただ存在していることによろこび
命という生命への愛おしさ
何になる必要もない
なにかを成し遂げることもない
生きていていい、
全てがそのまま生きていることがいい
善も悪もない
全てがそのまんま
命を輝かせている
青もいい、赤もいい、黒もいい、白もいい、
青が好きな人もいれば、赤が好きな人もいて
黒が好きな人もいれば嫌いな人もいる
善悪なんて、
ただのその人のとらわれた価値判断でしかないこと
自分の価値観もまた然り
だから、否定を恐れてはいけない
反対意見も拒絶もすべては
空想であり、
本来は無であること
無であり、すべてが有る
すべてが有るとは
自由であること
赤が好きでもいい
青が好きでもいい、
黒が嫌いでもいい、好きでもいい、、
学校に行かなくてはいけない、という正義も
保育園に行かなくてはいけない、という正論も
すべては常識がつくりあげた空想である
行ってもいいし、いかなくてもいい
行かなくてはいけないという価値判断にとらわれると
自由ではなくなり、
苦しみが生まれる
それはそうだ、
すべてが有るという自由から欠けた意識になってしまうのだから
陰陽がひとつで☯まるとなるのに
陰であるべきだ、となったとたんに、
欠けてしまう。
片方だけではこの世は成り立たないのに
光だけしかなかったら、それはもはや光れない
太陽光の明るさの中ではライトの光はまるで見えなくなってしまうように
暗闇でこそ明るく輝けるように
闇と光が両方あって、成り立つ世界
片方だけにとらわれ、反対側を受け入れようとしなければ、
対立を生む
光こそが、正しくて正義なんだ。
いや闇こそが、もっとも良いものだ。
と争う。
本当はどっちでもいいという
自由な世界なのに
何が正しいか なんて
捨ててしまえ、と思った
正しいも正義もすべては悪だ
なにが好きか、
どうしたいか、
それだけだ
ほんとうは正義も悪もない
正義とか正しさで物事を
推し量るから
悪が生まれるんだ
すべてが生きたいように
自由に選んで生きたらいい
正義や正しさを振りかざされたら?
同じように善悪という価値判断で対抗したら、
対立し争いが生まれるだけ
いかにその2極化された次元から
抜け出るか、意識的になること
感情で善悪に飲み込まれてはいけない
冷静な視点で、いったん善悪を超えた
本来は無であり自由であるという境地に戻り、
そこから相手の思いや意見などの価値観を悪だと否定することなく、
また自分の持っている意見が正しいと高ぶることもなく、
淡々と状況確認のように、相手の抱いている感覚や感情をまずは尊重する、聞く
そしてこちらの想いも正義や善悪を抜きにして話し伝える
否定を入れた途端に
善悪の争いの対立に飲み込まれるから注意する
正しい、間違っているという境地は
早くに捨てて
相手の抱いているものと、自分の抱いているものを
融合させる
融合とは、お互いにただ持っているものをいったん差し出し置く
目の前に並べてみて、善悪抜きにして
一緒にその並べられたものを考えるという作業
氣持ちや感じていることも
だして並べてみるけれど、
それを感情のままに出しで並べるのではなくて
あくまで冷静に、
感じていること、氣持ちを伝えてみる
相手をせめたり、自分を守ろうと攻防しながら
出すのではなくて
今の現状を理解し、解決するという目標のために向かって
今のそのままを出す
隠したり、誤魔化したり、責めたり、否定したり
などはその目標の邪魔になる
そのままのぶつかりあい ともいえる
でもぶつかりあいとは言っても衝突するための対立ではなく
和解するための対峙
自分にとって良い方に物事を推し進めたい
という欲が入っていると
それも結局は善悪の次元に引き込まれてしまうため
そういう操作したいとか、自分の欲はいったん差し置いて
フラットにする必要がある
うまく相手の意見に丸め込まれたら、と恐れや不安も手放して
心から相手とわかりあいたい という
そういう想いでいれたときに、
善悪を超えた自由でフラットな次元から見れる
自分が、自分の、と自分へベクトルが向いているときには
注意が必要
2極に分かれている意見や価値観をつなぐには
本来はどちらでもいいんだ、という陰陽ひとつ☯である自由な境地から眺めて、
お互いに手をつなごうとする意識が大事なのかもしれない
それにはまずは自分から、その境地へ向かってそこから見てみる
そうすると、ただ相手を責めたり、相手は間違っている、と憤りを感じていた自分とは
少し違う感覚が垣間見えるかもしれない
その隙間がとても大事だと思う
その隙間から少しでも相手の心境を覗ければ、
対立や争いって世の中から無くなっていくのかなぁと
思えたりしましたが
世の中とかじゃなくて
まずは自分から、心がけていこうと思います
