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プルートの世界

ほしとわたしと
それからこころ

精神世界や占星術
日常の日記として
更新しています

この前、タロットカードで出た責任というテーマについて

ちょっとふと思うことが出てきたのでメモです。


無意識に子に対して矛盾した子育てになってることってあるかもしれない

子はそんな親の対応に戸惑うよなぁと思った話なんですが


わたしの知り合いに

エネルギーとか、目に見えない領域のことなど、

そういった摩訶不思議な世界を好んで

様々な勉強をされたり、伝えたり、それを用いて治療を行ったりしている方がいます


そういう世界観って、これからどんどん当たり前に認識されていく時代になってくるとは思うんですが

まだまだ世間一般的にはどちらかといえば

どこかあやしい世界観とされたり、

常識か非常識かと言われれば

非常識というのが多数になるんじゃないかと思います


でも、その方の家庭では

そんな摩訶不思議な世界観が当たり前な日常で。


こどもたちも、普通にその摩訶不思議に馴染んでいるし、

受け入れて楽しんでいるし、

そんな不思議な世界観を楽しんでいる両親のことも

とっても大好きなように見える。


けれど、小さい頃からそんな非常識ともいえる

楽しい摩訶不思議な世界観で育った子が

小学校行くようになったら、

小学校は行きたくないと、拒否


でも両親的には行ってもらいたいらしい

どちらかというと、登校拒否には心配していたり

否定的な様子。


わたしはちょっと意外だなぁと感じました

目に見えない世界を大事にされているから

心の世界や精神からの訴えも

あっさり受け入れ学校行かなくてもOK!となるような

そんなイメージを勝手に持っていたので。


学校に行くことが良しとされる世の中であり

常識な社会だから

いざ我が子が行かないとなるのは

もちろん動揺するし心配もするよなぁというのは

わたしも母となり、とてもとても

すごく分かるのでむずかしいところだなぁとも思いました。


でもこどもの立場で考えたら、

今まで散々、エネルギーや目に見えない摩訶不思議な楽しいところで育ってきて、

急に小学校に入って、そういった目に見えない世界は無いものとされる一般的な価値観と考えの場所に飛び込んだら、それは確かに動揺してもおかしくない。

無いものとされるならまだしも、こどもって正直だから、おかしいこと言ってるー、ちょっと変ーとかそういう言葉をかけられてもおかしくないと思った

常識的に育った子たちにあふれている場所に入って、非常識な価値観でいることは、面白がられるか、否定されるか、どちらかなのだろうか


ここに子育ての責任というものを感じた。


他の子たちと同じように、学校に行って楽しく学校生活を送ってほしいという願いがあるのなら、

他の子たちと同じように生活できる基盤がなくてはいけない

基盤がなくても器用に学校生活が送れるという個性もあると思うけれど

送れない、という可能性は大きい


一般的な家庭では教えてもらえない

エネルギーや目に見えないものを扱う楽しい世界観を知りながら

淡々と学校の授業を座ってひらすら勉強することや

友達との会話や遊びに

どこまで楽しさを見出だせるのか


それなのに学校がつまらないから、

行きたくないと選択をしたら

親が心配したり悲しんだり

学校に行ってほしいと願われたら、


子はどんな想いだろうか。


困惑しないだろうか

なぜ学校に行かなくちゃいけないんだろう

なんで学校に行ってほしいと思うんだろう

学校に行かないとなんで急に問題にされてしまうんだろう


行っても生活しずらくて苦しかったり

なにかしら不満があるから

行かない選択を訴えているのに


そしてその選択をしたのは

育っていくなかで何に楽しみを見つけ、どんな世界観を大事にするか

親からの価値観の譲受があったのではないか


それはとても貴重な素敵なものを得て育ったのに

その非常識さは偉大なのに

なぜ学校に行くことにそんなにこだわってしまうのだろう

と勝手に残念に感じた


わたしは、その子が学校に行くのを嫌がってると聞いたときに、

やっぱり!そういう感性を持っているんだなぁ!

これだけ楽しい世界をいっぱい知ってるもんなぁ☆

となんかちょっとひとごとながら嬉しく思いました。


でもその後に親は悩んでる様子をきいて、

なぜ??と不思議さというような違和感を感じたのでした


こんなに正しい道を進んでいて、

悩むことなんてないのに!と、まぁこれは他人だからそう思うわけですよね。

我が子となればやっぱり心配しますよね


そういう感情が入らない第三者な客観的視点で眺めると

すごく分かりやすいですよね


絶対に大丈夫、なにも間違えてない、

むしろ大正解だよ!って思いましたもん


そりゃそうなるよね☆

とも思いました。


子はきっとそうやって信頼してくれたら嬉しいですよね

心配されたり悩まれるよりも。


そっか、行きたくないんだね。

行かなくてもいいよ☆

そう思うならそれが正解!大丈夫。


って受け入れて信じてもらえたら、

安心して自分の選択を生きれるなぁと

思ったのでした。


これはとてもいい教訓でありがたいなと思いました。

これから先、学校に行かないことも、

なにか世の中的には逸脱した選択や

親の意に反した選択をすることもあるだろうけど


そのときには

この教訓を覚えておきたい


どんな選択も子の自由であり、

どんなに一般的な生き方でなくても、

尊重する


なぜなら、その選択をするような価値観が

育ったのは、過程(家庭)環境であり

自身の影響であり、

さらに言えばそういう環境と親を子自身が選んで生まれて来ている


だからそもそも

そうやって選択し生きる設定のもとに

この地球にやってきている


それは、占星術やアガスティアの葉など

自分の魂や本質を知るとよく分かる


親の影響なしには

あり得ない自分の設定や生き方という資質にどうしてもぶつかる


でもそれを言ってしまえば

幸、不幸も

良いも悪いも

順調も停滞も

全て意味があって必要だ


親が意見に賛成してくれないという逆境も

心配され悩まれることもすべて

必要であって起きてるのかもしれない


だとするならば、

感じるままに生きるがいい、ということなのだろうか


子の考えは尊重するべきだ、と

心配を圧し殺そうと頑なになるでもなく

ありのまま、そのときの自分に正直に。


そう思うと、

その両親と子のストーリーは

そんな心配する親でさえ、

それでまるっとおっけー☆

って思えてきました。


ありのまま、かぁ。


それが案外むずかしいのよね。。(^ー^;)