自分の中でたくさんのテーマが次々やってくる
誰に言うでもなく、自分の中でただただ悶々と考えるような時間
小さい頃から遊んでた思い出の詰まった田んぼがソーラーパネルで突然埋め尽くされることから始まって
仕事、お金、生き方
いろんなこと考えさせられるタイミングなんだな、と陰の時間だと受けとめながらも
最後は娘の保育園問題がとどめというくらいに私には試練というか、きつかった
世界には保育園なんてものが無くても家族や村のなかで毎日一緒に過ごしながら、お金なんてなくたって豊かに暮らしてる国や民族はたくさんあるのに、
日本はなんなんだろう、この世の中のシステムは
という憤りだったり怒りがわきました
泣きじゃくる子たちを見てくれる先生だって仕事とはいえ大変なことだと感じたし、
保育園に預けることは最初は子も母も大変だとは聞いていたし簡単なことだとは思ってはいなかったけど
こんなにも辛いものだとは、と想像を超えてました
なんか、誰も得しないというか、この負の連鎖なシステムなんなんだろう、、と思ってしまいました
母も子も辛い、先生も大変。。
なんでこんなことになってるんだろうと思いました
もちろんお互い親も子も通うことに慣れて楽しさで通えるようにさえなれば楽園なのだと思うし
中には最初から楽しく、泣かずに嫌がらずに行ける子もいると聞くし
預かってもらえることで救われるママさんだってたくさんいると思うので
そういった貴重な場所である保育園というものが負なのではなくて
保育園に預けて仕事をする、というのが通常とされる常識とされている、そうせざるおえないような仕組みにされてる世の中に嫌気がさしました
海外の子育てにすごく興味がわきました
保育園のない国や民族は、どういう子育てや子との時間を日々過ごしているのか
どうやって子と一緒に過ごしながら生活をしているのか
日本のシステムにいながら、同じようにするのは難しいのかもしれないですが
そういった民族は自給自足のような生活だから成り立っているんでしょうか
世界を旅したことのある方、そういった暮らしを目にしたことのある方がいたらお話聞かせてもらいたいです。
自分の中でも色んな理想が頭の中でうまれて、つながったりしました
昔から感じていた違和感があって、戦争を経験したり生き抜いてきたおじいちゃんおばあちゃんがなんで、ここまで頑張って生きてきて歳をとって一人暮らしや施設へ入り最期を迎えられてしまうんだろう
色んな大変な事情があるなかで、今の日本の社会に生きていて仕方のないことは大いに想像がつきながらも、なんとなくそう感じていました
おじいちゃんおばあちゃんの世代のときは介護施設はいまのように整ってなかっただろうし、その世代のひとたちは家で上の世代の介護やめんどうをみてあげてた話もばあちゃんから聞いたこともあって
そうやって戦争を経験したり、介護も自分たちでやって看取って、とがんばって生きてきて、いざそんな自分たちが歳をとったときには一人暮らしや介護施設。。
なんか寂しい世の中だな、というか、結局これも日本のシステムがそうさせてるから、施設へ入れることは今の日本では仕方のないことで誰がわるいなんてこともなくて、
やっぱり日本に住んでる以上普通に生活するには働かないと暮らせなかったり、働けば遠くへと行ったり核家庭、核社会の流れがつくられているんだから仕方ない
なんか、そんなことを考えてると
日本という場所はとてもいいところなのに
世の中というかシステムというか
日本社会おかしすぎる、と思いました
そしてせっかく長く生きてきたおじいちゃんおばあちゃんの体験や経験、そういったものも一人暮らししていたり施設へ行ってしまったら生かされないというかもったいないというか、、
前まではおじいちゃんおばあちゃんにフォーカスしていたので、単純に介護施設で介護されるより、せっかくなら子供たちと過ごしておばあちゃんの知恵のようなものを教えてあげたり一緒に過ごすことでおばあちゃん達も生きる活力になったり介護されるより楽しいんじゃないか、と思ってたんですが
いざ子を産んで日々過ごしていると、いろんな場所でおばあちゃんおじいちゃんに声をかけてもらう
小さい子はなかなか周りにいなくて、見れないから、、
と少しの会話や触れ合いを喜んでもらったりありがたがってくれたりする
やっぱり、おばあちゃんおじいちゃんと子たちの場所ってあったらいいよなって実感した
それで保育園というものを体験して改めて自分ごととしても思った
やっぱり絶対にその場所があったらいい
というよりわたしが欲しかった。。
子が生まれて小さい頃からいつでも行けて
行くとそこにはおじいちゃんおばあちゃんや地域のひとたちが誰でも来たいひとが自由に集っていて
お母さんと子たちも自由にそこで一緒に過ごせて
そこに行けばみんなもう顔なじみで
だから少し子が大きくなれば、ちょっとお母さんが離れたって泣きやしないし、見慣れたおばあちゃんおじいちゃんや地域のひとたちが見守ってくれる安心して居られる場所になる
なんならそこでお母さんはなにかできることを仕事にしたっていいじゃないかと思った
つくったもの売るとか施すとか
そんな場所ができたら、最高だな〜とおもった
わたしがやっぱりなによりほしい。
でもじゃあどうやってそんな場所つくったらいいか、と考えると
さっぱり工程が分からない
いつでも来れる場所なんてどこにある?どう探す?
資金はないし
探すったってどこを当たれば、、
と検討つかないので、まずはゆるくはじめてみたらいいのかな、と思ってきました
ゆるくはじめよう、と考ると
できそうな場所が思いうかびました
なにより大好きな生まれ育った場所というのも嬉しい
そしてこの場所に集うことでなにかつながりの中で
田んぼをソーラーパネルにするという選択だけじゃなくて、なにか他にも田んぼを残したり守ったりできる選択肢がうまれたらいいなぁと願ったりもして、、
ゆるく集う場所をはじめてみたい、と思いました。
というより、いま書きながら考えがまとまりました。
開催したい思いはありつつも、どんな集いにしたらいいかというところが悶々としていました。
どんなコンセプトにしたらいいんだろうかと
でも、ただただ来たいひとがくる
というのがいい、と思いました
年代も住む場所も、誰でも自由に集うのがいいな、と思ったので、
誰でも喫茶〜ゆいまる〜
にしようかな、
ゆいまるは、
宮古島の人と空間のあたたかさに感銘をうけて、ゆいまーるから。
ゆいまるには人と自然をつなぐという意味があるとでてきたのですごくいいなぁと。
と、ここまでつらつらとただ思ったことをかきとめてみたんですが、、
ふと我に返ると、こんな理想を語っちゃって
自分なんかがみたいな思いというか
恥ずかしさみたいになったりする
けど、やっぱり自分のためにも
やらないと、という思いにかりたてられる
ずっと頭にあったことをこうして言葉にできて
まとめられたこともただ嬉しく感じた
心のうちを正直に書いてみて
介護のことや保育のことなんて
それぞれの家庭の事情があることに対して
生き方や選択なんて自由なのに自分の単なる考えを書くのはどうなんだろうと思ったりもして
書かないほうがいいか消そうかと考えたんですが
一連の感じたことや流れを端折ってまとめようとすると
言葉がうかばなくて
そのままを載せさせてもらいました。
2023.11.28 記
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