こんにちは。

道廣恵里(みちひろえり)です🫡🌟

 

 

 

 

 

INFLATIONの講座での

人生の転機・ターニングポイントとなる

時柱の声を振り返っていて、今回で

思い出した出来事の最後の3つ目です!!

 

 

▼関連記事

その①

 

その②

 

 

 

 

 

 

↑上の2つの記事は自分の中で既に

笑い話に出来ているから

自分でも「まじウケるよね~」って

笑って話せるんだけど、

 

今回の話はまだ、自分の中で

「ウケるよね~」までいっていなくて

笑い話にできるように今やってる感じ。

 

 

 

 

 

「カラダの弱い自分はもうやめる!

 だってもっと遊びたいから!」

 

と思った小学生の時は、

弱いカラダの自分で居た期間は

自我が芽生えてからだとしても

約10年ぐらいのことで、

 

 

 

「知識習得にお金を出すのはもうやめよう。

 もう十分に自分の中にある。

 相手の声を信じるより自分の声を信じたい」

 

と思った去年9、10月頃の時は

個人事業主という働き方を知って

ビジネスというものに触れた始めた

2018、9年頃から約5年ぐらいのことだから

 

 

自分的にはまだ認めやすい年月だし、

受け入れて笑えてるんだけど、

 

今日のやつって自我が芽生えてから

去年12月までの約30年間も

やめたいのにやめれなくて

やっちゃってたことだから

 

長くて、重くて、罪悪感もまだ出るし

時柱の声を聴いて決めたけど

まだブレやすくて、戻りやすくて

意識して書き替えているから必死で笑い泣き

 

 

だから、書いても笑えないなら

意味ないかな~?って思ったけど、

全部開示すると決めたので書きますよ~オエー

 

 

もしかしたらちょっとエネルギー的にも

重い感じが出ちゃうかもしれない。

 

そうならないように気をつけて書くけど

気分悪く感じたら、読むのやめてね注意

 

 

※そしてめちゃくちゃ長いです!笑

 

 

 

 

なんか、フリが利いて

自分でハードルを上げちゃった感じあるけど

気にせず気づいたことを綴っていきます飛び出すハート

 

 

 

 

 

3つ目のターニングポイントは

今までの人生、親の顔色を伺い

殆どが親に言われた、決められたことを

やってきた人生に我慢の限界が来て、

 

これ誰の人生を生きてんだよ??!

こんな人生なら死んだ方がマシだわ。

もうこんなのヤダ。ムリ。つまんない。

 

もう自分の上には絶対誰も置かない。

親も尊敬する人もお金も何も置かない。

自分以外の誰も上に置かないんだ!!

わたしがすべてを決めるんだ。

 

と、時柱の声が発動した。

 

 

 

 

 

 

幼少期の頃からうちの家では

「父親のいうことは絶対」というのが

言われていなくても漂っていた。

 

THE 亭主関白なお家だった。

 

 

だから、なにかをしたい時でも

なにかをやめたい時でも

「父親に相談して許可を得る」が絶対。

 

なぜなら

お金を出してくれるのはお父様だから。笑

 

 

 

わたしが初めて

父親に逆らうと怖いんだって思ったのが

わたしがまだ小さい時、幼稚園ぐらいかな?

 

おにぎりの食べ方が汚いだったか

もう食べれないって反抗的だったか忘れたけど

リビングのテーブルで食べている時に

父親がキレて、テーブルにかかと落としして

テーブルに穴が開いたのを見た時だった。

 

 

そのあとにも、姉が父親に反抗したのか

理由は覚えていないんだけど

父親に蹴られている姉を見た時だった。

当時のわたしは小学生だったかな~

 

 

それからは、父親を怒らせたら怖い。

反抗したら何されるかわからない。

暴力をされるのだけは絶対やだって思った。

 

 

 

余談だけど、実は

恋愛で男性に求める第一条件は

どんなことがあっても

仮に私に非があったとしても

絶対に暴力を振るわない人だった。

 

暴力を振るったら絶対に即別れる、

離れるっていうのは決めていた。

 

だから出会った男性を見る時には

「この人は暴力を振るわなそうか」

っていうの常に気にしていたねー笑

 

 

 

 

 

それからの私は人のことを観察して

人から怒られないように

気をつけて振る舞うようになった。

 

良い子で居たら怒られない。

言うことを聞いてたら怒られない。

暴力を振るわれることはない。

 

なにを求めているのかを察知して

それをやることで逆に褒められる。

 

 

周りが自分に求めているであろう人を

演じている方がラクだった。

わたしはカメレオンだ、って言い聞かせてたもんな。笑

 

 

完全に自分の上には父親が鎮座していた。

この頃にはそれが当たり前だった。

 

 

 

 

 

幼稚園の時にダンスやらされて

嫌だったけど、拒否権はなし。

 

 

スイミングスクールに通わられて

嫌だったけど、拒否権はなし。

 

でも溺れたことで、泣きながらヤダ!

って言ったら辞めさせてくれた。

唯一これだけかな~

条件なしで辞めさせてもらえたのは!

 

 

 

小学生の時にそろばんに通わされて

本当は書道・習字の方が興味あったけど

言ってもダメって言われて終わった。

小学校卒業と共に辞めさせてくれた!

 

 

中学生になったらECCに通わされた。

別にやりたくもなかったけど

中学3年間はやめさせてもらえないから

おやつタイムを楽しみにやっていた。

もちろん学力なんて上がらないよゲラゲラ

 

 

高校の時に、進路で製菓の専門学校に

行きたいと伝えるも却下。

最低では短大卒業と言われ、短大に行く。

 

 

短大の時に、就活しないで

ワーホリに行きたかったけど、

はっきりとした理由がないからダメ

と、却下される。

行くなら一回社会人を経験してからに

しなさいと言われ、社会人になる。

 

 

 

 

でも、実は従いながらも

反抗して行動していたこともあって、

 

社会人になるまで髪を染めるな

って言われていたけど、

高校生のときには分からないように

美容師さんと相談して染めてたイヒ

 

親からもらったカラダなんだから

カラダに穴を開けるなんてダメだ

って言われていたけど、

社会人1年目のときに病院で開けたイヒ

 

 

しばらく経ってから

父親に「ピアス開けたの気づいてた?」

って聞くと、気づかなかったし

その時に怒られることも無かった。

 

 

この時に、父親って実は言うだけで

見ているようで全然見ていないのかも?

と思うようになった。

 

 

 

怒られなさそうなラインを

探りながら少しずつ自分のやってて

ひとり暮らししたときの

自由と解放された感がすごかったアップ

 

 

 

ひとり暮らしを始めたことによって

もう親からの呪縛・洗脳、支配から

解放されたと思っていたけど、

実は社会人になってから親の位置に

尊敬する上司、実績のある人とか、

肩書のある人、お金を置いていた。

 

とっかえひっかえ変わっていただけで

常にわたしは何かを自分の上に

置いていたのは変わっていなかった笑い泣き

 

 

 

 

 

で、父親と約束?した

ワーホリに行きたかったら

一回社会人になってから行け。ってやつ。

 

 

社会人3年目の時に

もういいよね?と思って留学経験のある

友達に相談したら

留学関係の仕事をしている人と繋がった。

 

その人とは話が進んでいて

最後に父親に報告&許可を得るという

大きな壁が立ちはだかった。

 

会社を辞めてカナダに留学するから!

というのがどうしても言えなかった。

 

 

今思うと、私がしたかったのって

留学でもないし、カナダじゃなくて

オーストラリアかニュージーランドに

ワーホリに行きたかったから

 

会社を辞めてカナダに留学するから!

って言えなかったのもあるよなー

って思った。笑

 

 

で、どうしても父親に言えなくて

ウダウダしていたら、手伝ってくれた人が

留学の目的がないまま行っても

意味無いからやめた方がいいって言われて

そこでも「行く!」と決断できず、断念。

 

 

 

この辺りから、転職したいなーって

3年置きによく思うようになったから

父親に決められた人生を歩むことへの

我慢と抵抗が徐々に溜まって来たと思う。

 

 

 

転職したい、会社を辞めてみたい。

違う会社(世界)も見て見たい。

 

でも辞めたら親を悲しませる。

せっかく安心させることができたのに

心配させてしまう。親不孝者だ。

 

しかも転職するっていっても

なにかやりたいことがある訳でもない。

 

会社も決定的なやめたい理由は

特になかったし、普通に楽しかった。

 

 

 

 

 

そなときに出会ったのが

自分ビジネス、子宮推命(四柱推命)。

 

 

こんな生き方があるんだ!

ってビックリしたのを今でも覚えている!!

 

 

このときに理由を見つけたと思った。

会社を辞める理由、

父親に決められてきた人生のレールから

降りるための理由はもうこれしかない。

 

そう思って「起業する」という理由で

会社を辞めることを勝手に決めた。

 

 

でも、またこの時に悩む。

起業してやりたいことも特にないのに、

父親に報告しなくちゃいけないという

私にとっての大きな壁に。

 

 

全然言えない。言い出せれない。怖い。

怒られるのかな?見放されるのかな。

縁を切られるのかな。それは悲しいな。

 

どうしよう、退職すると決めたけど

まだ残ろうかな?答えがわからない。

 

ってグルグルして、

自分でも自分のことが良くわからなくて

誰かに決めてほしくてセッション受けて

 

自分の本音なのか、そうじゃないかも

わからないけど、色々話したあとに

 

「こうじゃない?」って言われたのを

「そうだ」って自己暗示をかけて

 

本当は親の呪縛を断ち切るためにも

会社を辞めたかったんだけど、

 

当時はそれに気づいてないし

この苦しさから逃げたいのもあって、

早く決めたかったから

 

残っている期間にまた決め直せばいい

って、会社に残ることにしたら

一気に体調が悪くなって

寝れない、食べれない、会社に行けない。

 

会社に行こうと準備をするも

玄関で気分が悪くなる。

 

結果、部署異動して1ヶ月で退職した。

ほんとに惨めだった。かっこ悪すぎて。

 

 

 

 

 

体調不良が原因で辞めたことに

結果的になったんだけど

父親には「ちゃんと話すから」と

言ったけど結局なにも言わないまま

現在に至る。爆笑

 

 

「ちゃんと話すから」

と言ったもののどこか自分の中では

 

「なんで親に全て報告しないといけないの?」

 

「もう30歳にもなったいい大人なのになんで

親に報告&許可もらえないとやめれないの?」

 

「変じゃない??」

 

って疑問が湧いた。

 

 

 

このとき子宮推命(四柱推命)を使って

自分と向き合うというのもやってたから

少しずつ自分で決めるっていうのを

やっていたのもあって、

 

これ、誰の人生生きているんだ??

わたしの人生なんだけど??

 

って思うようになって父親に理由を

報告するのはしないことに決めた。

 

 

このときはまだ時柱には触れていなくて

ギリギリのラインだったと思う。

 

まだ、誰かを上に置いて

決めてもらってた方がラクだし

責任がなくて失敗しても人のせいにできる

メリットがあったからね。えーん

 

 

だから

2020年7月~2023年12月までは

まだどこか肚で決めれてなくて

どっちつかずフワフワしていた感じ。

 

自分で決めれることも増えてきたけど

人生に関わりそうな大きなものは

自分で決断するのが怖くて

結果出している人、尊敬している人の

ところに行って、

 

提案を貰うフリして

あの人がこう言ったからという理由で

自分で決めたようにして

実は決めてもらってて

自分で自分の責任を全然持っていなかった。

 

 

上手くいかなかったら

その人のせいにして自分は言われたから

やっただけで悪くない。あっちが悪い

って長いことやってた昇天

 

 

 

 

で、実家に戻った2020年2月。

一回自由を手に入れたのに

また親の支配下に戻る感じがして

負けた気分でホントに嫌だった。

まじで惨めだった。

 

 

周りの友達は結婚したり、

出産したり、ビジネスを始めたりして

自分の人生を歩んでいるのに

私は30歳にもなってなにやってんだって。

 

 

そう思いつつも

抜け出せれなかったのが3年続く。

 

 

 

 

実家に戻ってからの3年間のうち

いくつか父親に対して

怒り奮闘する出来事があったけど

 

その度に、

家の中の空気悪くするのは良くない

と思って、

平気なフリ、許したフリ、笑って

もう気にしてないからってやって

父親と接することを何度か繰り返した。

 

 

 

 

 

で、

あ。もう親(他人)の言うこと聞くのやめよ

って時柱のラインを超えたのは

2023年12月のめっちゃ些細な出来事。笑

 

 

 

「これだけは絶対嫌だ」「やらないで」

っていうのは口酸っぱく

父親には言っていたけど忘れるのか、

本当に嫌だっていうのが

伝わっていないのか父親は繰り返す。

 

 

 

そんなある日

お風呂に入ろうと扉を開けて

自分の洗顔用の石鹸やネットを

置いているトレーをふと見た時に

父親の歯ブラシがトレーにあった凝視爆弾

 

 

気持ち悪い。汚い。ムリ。なんなの?

なんでいつもコイツは

わたしの嫌がることをやるんだよ。

 

 

つーか、人が嫌だって言っているのを

何回もやってくるこんな奴の言うことを

なんでわたしは聞いていたんだろ?

怖がっていたんだろ?あほらしーわ。

 

 

って吹っ切れたときに

 

 

今まで父親のことを

家族だから、父親だからって

肩書やフィルターをつけたまま

見ていたけど、

 

そのフィルターを外して

ただの65歳の男として見た時

わたしが尊敬するような生き方、

いいなと思うような生き方してるか?

アドバイスを聞きたいと思うか?

 

 

いや、ない。全くない。

むしろいつも父親に

うちら子供の事なんかもう気にしないで

母親との残りの人生を考えて

自分の好きなように生きたらいいのに。

 

って思っていたぐらい。

 

 

 

偉そうな態度を取っているくせに

聞きにくいことは自分で聞かず

母親を使って探りを入れる度胸のない奴。

 

何も挑戦してないし、口だけのこの男に

なんで私の人生を決めさせていたんだろう

なんで従ってきたんだろう。

 

 

小さいときは従わないと生きていけない

と思っていたからしょうがない。

 

でももう自分でお金も稼げるいい大人。

親が居なくても生きていける人間。

 

 

もう自分の上には絶対誰も置かない。

親も尊敬する人もお金も何も置かない。

自分以外の誰も上に置かないんだ!!

わたしがすべてを決めるんだ。

 

って、時柱の声が発動した。

 

 

 

 

 

そして、厳密には

父親とまだ仲直りをしていない。笑

 

つーか、謝んないからさ、アイツが凝視

悪いことしたのはあっちなのにさ。

 

謝れないんだよ、65歳にもなってさ。

ちっせー男。弱い男だわ。

だからわたしは許してません。

 

いつもなら私から気にしてないよって

普通に話しかけてたけど

それももうやめた。話しかけてない。

 

必要な会話があれば

普通に答えて話してはいるけど

自分からは話さない。

 

 

例え、このまま話さないまま

仲直りしてないまま

どっちかが死んだとしても

わたしは後悔しないと決めたから

やっている。自分で決めた。

 

 

親不孝者と言われてもいい。

育ててもらったのに感謝しないと

ダメだよって言われてもうるさい。

 

親にそんな酷い態度取るなんて

良くないよって言われてもほっといて。

 

感謝は言われてするものじゃない。

感謝は湧き上がってくるもの。

 

今はまだそんな感じはないし、

感謝とか言われても無理だからしない。

 

 

 

でも、今こうして

父親のことをボロクソに言えるのも

私の根底には

「父親に愛されていたんだ」って

過去に実感しているってゆーのもある。

 

 

▼関連記事

 

 

 

 

ムカつくけど、嫌いじゃない。

ムカつくけど、憎んではいない。

 

 

ただ今は30年以上こびりついて

自分と親が一体化になっていたのを

分離、離している作業の段階だから

 

下手に親に対しての

感謝ワークとかやっちゃうと

また戻っちゃう気がして嫌なんだ。

また自分の上に置いちゃいそうで。

 

 

 

父親に対しての復讐は終わってる。

今は、父親(親)からの自立の時だ。

 

 

それぞれが自分の人生を歩んでいく

分岐点・ターニングポイントだと思う。

 

だから今の

この距離感が普通な感じもしてる。

てか、心地いいんだよね。

 

今までのは父親のご機嫌取りを

してたのもあったから

不自然だったと思うんだよね~。

 

 

 

 

 

全部書いたらスッキリして

書き始めの時は

重いエネルギーになったらやだな

って思ったけど、

 

書き終えたら

「ウケるわ」って笑えてきたから

良い感じに浄化しております笑

 

 

 

あの些細な出来事から3ヶ月が経って

ゆっくり分離してきている。

少しずつ自立の準備をしている。

 

すぐに誰かを自分の上に置くのが

もう呼吸レベルで当たり前にやってたから

これをやめるのが、意識するのが

まー大変だけど自分のために頑張るんだアップ

 

 

 

長いのに最後まで読んでくれた方々

ありがとうございましたお願い愛

 

 

 

道廣恵里