こんにちは、みーです。
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昨日、6年前にわたしが
育児や、心のことを学ばせていただいた
りょうこ先生のインスタライブを見てて
思いました。
https://www.instagram.com/reel/C2QpNXxyU4n/?utm_source=ig_web_copy_link&igsh=MzRlODBiNWFlZA==
(テーマは:
習い事を早くするのはダメダメよ)
そこで
学童→スイミング、とか
学童→公文や学習塾、とか
両親が働いている間に
なるべく子どもが1人になる時間がないように
小学生が習い事をつめている例、や
(これ、23区に住むいわゆる富裕層にあたる
ご家庭では良く聞きます~)
〇歳までに英語しないと耳できない!とか
〇歳までに体操しないと運動神経が・・とか
まことしやかにささやかれる例(笑)に
触れてお話が進んでいました。
で、要するにこれをして
やらないよりは・・と習い事が詰まっていると
「1日2個は死ぬよね・・」
「一方的なインプット過多」
「ぼ~っとする時間がないと
画一的な答えはできるけど、
自分がどう思うかは出てこない」
と、りょうこ先生がおっしゃっていて。
*
これを聞いて
子ども発、のアウトプットが
(むりやりどうだった?とか言わせるんではない)
子育て世代をとりまく社会情勢とか
(ワンオペとか、色んなリソース不足)
そもそも子育て世代の親が育ってきた時代背景とか
いろんなことが絡まって
親に受け止めるスキマが
子どもの育ちに必要なほどには十分にないし
そもそも親もそういうのを
受け止めてもらって育ってきてないから
体感としてわからないのかもなあ・・と
思って聞いていました。
子どもが落として割れたみかんで作成🍊
どこで聞いた話だったか
オランダでは子供が産まれたら
おむつを替えるときに
「オムツ台で寝てする?
それとも立ってつかまって替える?」
ってまだ言葉が出ない赤ちゃんからの
サインを持ってやるって
聞いたことがありまして。
日本だと、
無言でゴロンとオムツ台に転がされて
ささ~っと替えられてしまう感じじゃないかなって。
もし声をかけるにしても
オムツ替えるよ~、気持ちいいね~
くらいは言うかもしれないけれど
子どもに選択権
(またはアウトプット機会)
って与えられてないよね、
ナチュラルに・・
って感じるんですよね。
*
国民性っていう乱暴な言葉で
まとめていいのかはわからないけれど
やはり私たちって
「言葉にする」とか
「相手に細かく確認する」
ってサボりがち、じゃないですか??
親子関係や夫婦関係がすごく上手くいってる
方たちって
ここがすごく上手な方が多くて
でもそれって
最初からナチュラルにできていた、というよりは
少しずつ意識的にそこを鍛えてきた、
っていう方が多いんじゃないかなって。
(もちろん最初から出来る人もいる)
要は
「細かく選択権を与え合う」
「相手の意志を逐一確認してから進める」
「思ったことを1つ1つ言葉にする」
このへんのことを
まずは言葉を知っている親が
ふつ~に日常生活の中でやっていて
子どもがそうやって
日常の中の意思表示をアタリマエにできると
最初に出て来た
習い事の「インプット過多」
がそもそも起きないだろうし
アウトプットが育っていくだろうし
アウトプットが当たり前にできると
結果として
学ぶ力がアップしたり
他者とのコミュニケーションが
円滑に取れるようになったりして
成熟した大人、があふれて
社会全体が平和になるんだろな~~~
って思ったのでした。
(このアウトプットを
私がどれだけ親の職権乱用にて奪ってきたかを
長女の中学受験とおして身につまされてます~。
私も一緒に育ちなおし中!)
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