私は今は実家に帰省してますが、普段は実家から離れたところに住んでいます。

実家から今の住まいは飛行機の距離の遠さなので、帰省するのは年に2回程度です。

義両親とは同じ県内に住んでおり、子が生まれてからは関わりがぐんと増えました。

義両親は優しくおおらかです。

片や私は真逆の性格、金銭感覚も正反対なので、義両親とマッチせず、このブログを始めました。


しかし、実家に帰ってきて思い出しました。

一番ヤバいのが実は身近にいました。

父親です。

私は「お父さん」と呼びたくないので、女性では珍しく敢えて「親父」と呼んでいます。

クソ親父という意味ですが、さすがにそう呼ぶのは憚られるので、親父呼びに落ち着きました。

以下では、普段通り、父親のことは「親父」と記載します。


親父は、見栄張りで嘘つきです。

昭和30年代に農家の末っ子長男として生まれ、祖母に甘やかされて育ったので、自分が偉いと勘違いしてます。

そして、自分を偉く見せるために見栄を張り、平気で嘘をつきます。

例えば、ど田舎に似つかわしくない外車を買い、日中は車庫の扉を開け放ってその車を近所に見せびらかしたりします。

ちなみに親父は体重3桁の巨漢なのに、外車はスポーツカータイプなので、窮屈で仕方ないのでしょう、事実上乗れないようなもので、外車は展示物と化しています。


まあ、これはまだかわいい方ですが、親父が私を否定するような嘘をついていると知りました。

母が親父の愚痴をこぼしたついでに聞いた話です。

どんな嘘かと言うと、私の職業を偽って近所の人に広めているのです。


私は大学卒業後、多くの人が知るような大きな組織に就職しました。

親はとても喜び、近所の人に自慢してました。

しかしながら、当の私は、毎月100-150時間も残業し、人間関係も上手くいかず、心も身体も疲れ切ってました。

就職から4年目にして「もうどうにでもなれ!」と思って無断欠勤したことがありましたが、あの時点でだいぶ狂ってしまってたんだと思います。

医者に診てもらうと適応障害の診断が下り、1か月病気休暇を取りました。

その後、復職したものの、それからは腫れ物になってしまいました。

私も未熟だったので無断欠勤なんかしてバカでしたが、自業自得とはいえ、腫れ物扱いはかなり辛かったです。

人事課にもお世話になり、部署移動もしましたが、そこでも上手く行かず、適応障害が再発したので再び病気休暇に入りました。

2度も戦闘不能になり、居場所を失った私は退職することにしました。

そして逃げるように結婚し、今の土地に越してきて、新たな職を得ました。


親父は、こんな私を恥じており、近所の人に私が今でも前職で頑張っていると嘘をついているのです。

今の職は前職と違って、他人に自慢できるような仕事でないのは自分でも分かってます。

今の職に就いて5年経ちますが、私自身が今の仕事に自信を持てずにいます。

そんなところに、親父が私のキャリアを偽ってまで見栄を張ることに執着しているのを知り、わずかに残っていた自尊心をえぐり取られました。

ついでに言うと、母が親父を批判する意味合いで「嘘ついたって仕方ないのにね、現実を受け入れるしかないのにね」と言ったのが、更にショックでした。

「現実を受け入れる」って・・・母の本音が漏れ出た瞬間でした。

母も私に失望してたことに気付きました。


実家で母と話すと親父の仰天エピソードのオンパレードで、親父への嫌悪感が増す一方です。

年に2度会うくらいがちょうどいいです。


翻って、義両親ですが、夫や義妹弟のことを「立派に育ってくれた、どこに出しても恥ずかしくない」と言っているのを聞いたことがあります。

こんな言葉、親父の口から聞いたことはないですし、この先も聞くことはないと思います。

義父は良き父親だと思います。

でも、どんなに良い人でも相性の問題があって、私は時折モヤモヤします。

義父は私の子をよく可愛がってくれるので、できるだけ会わせるのが子のためになりますが、私の心の平穏との兼ね合いが難しいです。


読んでいただいて、ありがとうございました。