チネイザン的解釈
胸椎からのメッセージは
親との関係性
家族との関係性
親友との関係性
最近胸椎の可動域を上げるのに夢中な
サロンオーナー小坂です
ほんと、身体って素直で
胸椎を意識しだしてから刻一刻と
・小顔さ ・首の細さと長さ
・肩の位置 ・姿勢 ・動きやすさ
・呼吸のしやすさ ・仙骨の位置 ・脚の位置
・内臓の位置 ・肋骨の位置
全部が変わってゆくのを感じています
若さの象徴は胸椎の柔らかさにありと
うたう整体師さんもいるほどに
若さ、つややかさ、目の輝き
そして人間的魅力にも
関わりがある場所
ほら、イヤイヤしている
赤ちゃんののけぞり力ってすごいでしょ
液状化のようにのけぞって落ちようとする
赤ちゃん
イメージつくよね
あれは胸椎のしなやかさがあってこそなんです
成長とともに固まってゆく胸椎が
いつしか大人はカチカチになっちゃうんよね
だったら意識的に溶かしていけば
ほら若返り
・
胸椎の可動域とリンクしているからか
親(特に父親)との関係性に
自分の中での大きな気付きがありました
終戦の年に産まれた
2年前に他界した父
娘から見た父は
自分勝手でいつもわたしの意見は抑え込んで
強要してきて
私に怒鳴ったり脅したり
いつも無理やり言うことを聞かされてきた
小さい私は、怖くて怖くて
抗えなくて、従うしかなかったこと。を
今でも恨んでました
だけど、気づいちゃいました。
父への怒り。の奥にあったのは
結局は
自分の無力さへの怒り
だったんだなって。
最近弱者にすごくムカついていて
弱者はいつも弱者の正当性を武器にして
人を言いなりにさせる。
弱者からの暴力がムカついていて
でもそれって
無力なだけの自分
何も出来ない自分
力がない自分
への否定の力なんだなって
結局弱かった自分をずっと責めてきたのは
ほかでもない私であって
そして、
それらに付随して
自由じゃないわたし
お金がないわたし
無力で無能なまま愛されるわたし
わたしにも気づきました
夫に妙に反発してしまう根底も
ここにありました
弱さを認める。
弱いままのわたしだっていい。
愛する。
お金がない
主張ができない
自由を自分で守れない
そんなわたしでないように
必死で頑張ってきて
必死に力をつけてきたわたしにも
あらためて「お疲れ様でした」と
言ってあげたいきもち
ここまでくると
父への怒り。や弱者への怒り。
なんてどうでもよくなってく
そこにはやっぱり感謝しかわかなくなってくんだよね
子どもみたいに弱かったっていいじゃない
赤ちゃんみたいにふにゃふにゃだっていいじゃない
柔らかくたおやかで
愛されるだけの女性で
いいじゃない
サロンにも
「あ〜、この人、パートナーさんからも
愛されてるんだろうなぁ〜」て、
見るからに愛されている柔らかいお客様がいて
わたしから見ても、愛しやすいし
愛されているって
愛を受け取る土台があるよって
見栄えにもめちゃくちゃ出てます
あんな年のとり方ができたら
素敵だなって思えるモデルが身近にいて
幸せです
・
ふにゃふにゃ胸椎をゆるすと共に
ふにゃふにゃなわたしもゆるしてみる
身体は見える潜在意識ですね
ココロとカラダ
切り分けれないのだから
両方アプローチが早いよね
ボディと一緒に
潜在意識も整えちゃうsalon
それがプラクリテです