土星の甘さと、天王星の厳しさ | ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

教科書通りのリーディングにしっくりこないことには、大きな意味があるはずです。納得できるまで遊び心を持って考察していきます!

今回の記事もホロスコープ継続講座を受講しての振り返りとしてまとめます!

「土星」と「天王星」について。

 

 

ホロスコープで扱うものは概念や象徴の塊のようなものだと感じています。

今の自分では、土星も天王星も、それらのほんの一部分しか捉えられていないと思うのですが(一生かかっても捉えきれることはない気もしますがw)、一般的に出回っている情報とギャップを感じた側面に絞ってまとめていこうと思います。

 

 

土星といえば制限や限界、苦手や試練など、厳しさのあるイメージが小さくないと思います。

一方天王星は、変化や革命、自由や覚醒など、未来志向で明るい雰囲気を持つキーワードで語られることも少なくないと思います。

 

 

ですが先生のお話しをきいていて、土星は「甘さ」を、天王星は「厳しさ」を、持っている天体だと感じました。

 

例えでお話ししていただいたのは、「会社勤めで、与えられた仕事(=義務)を遂行していれば、給料や福利厚生という形で保障してもらえる部分がある(=権利)が、これは土星的な働き方」といった内容でした。

会社に属さず個人で事業を行う場合、押し付けられる義務は少なくなる一方で、保障してもらえるものも少なくなり、自己責任で進めていく必要が出てきます。これが天王星的と言えるようです。

 

 

土星意識においては、「義務」と「権利」が1セット。

天王星意識においては「自由」と「責任」が1セット。

 

 

 

20代前半くらいであれば、「天王星意識の方がかっこいい!」なんて軽々しく思っていたかもしれん。

 

自分自身も家庭を持ち、子どもの教育のことや、家族の健康問題、金銭面についてシビアに考えるようになったり、年々両親の老いを感じるようになったり、現実問題として目をそらせないものが増えてきている今、安心・安全を感じられるのは圧倒的に土星意識の方ですね泣き笑い

 

「守りたいものが増える」というのは、「制限が増える」「責任が増える」とも取れますし、それ自体が土星的だとも感じます。

土星の枠の中で、与えられた仕事をして、最低限の生活を保障される、それで守られるものが大きいのであれば、こんなにありがたいことはないと思います。

 

 

このあたりは土星の「優しさ」「恩恵」のように感じられますが、「甘さ」と感じるのは、「義務を全うしていれば、秩序を乱さない程度の他責は見逃される」というところだと感じました。

(真の意味で土星意識が育っていれば他責的になることはないという前提はありますが)

 

与えられた仕事をやっていれば「業務改善してほしい」とか「もっと有給つかえる環境に」とか、義務を果たしているからこそ主張できる「権利」があります。

もちろん、これをオフィシャルに進言するには、役職や普段の仕事の出来具合などにもよると思いますが、こそっと同僚や知り合いに愚痴るくらいであれば、「他責」ではなく「まっとうな不満」という感じで許容される風潮を感じます。

 

「義務」を果たす上でのストレスのガス抜き的要素として、愚痴ることで慰め合ったり励まし合ったりするのはよくあることだと思います。

「義務を果たしているんだから、それに見合った権利を与えてほしい」と思うのは土星意識においては節度をわきまえれば許されることなのでしょう。

 

 

義務を課す側と課せられる側のバランスが崩れた時、何かしらの改革・革命が講じられたり、あるいは勃発したりするのだと思います。

これが土星的システムや制限を打ち破る天王星的働きですね。

義務を課す側が舵をきることもあれば、義務を課せられる側が動き出すことも、どちらもあり得ます。

 

 

子育てをしていると自分が土星側になったりもするわけですが、相互的なやりとりをする余地を与えて信頼関係を築くこと、時には甘い目で見るようなことがなければ、子どもを追い詰めたり大反発されたりとよろしくない流れになりそうです。

「反抗期」としての自然な範囲で親の保護からの離脱していく過程もありますが、やはり親側がどのように接してきたかというところから、反抗の出方が左右される部分はあるように感じます。

 

 

土星的な世界で生きているのであれば「税金払ってるのにこんな生活しかできないなんて!」「病院の待ち時間長すぎる!」「子どもの担任がいけてない!」なんて文句を多少垂れ流すくらいなら、そこまで白い目で見られにくい、むしろ共感してくれる人と盛り上がったりできるのは、義務を遂行している側に対してもたらされる土星の「甘さ」だなと思います。

 

これは義務を遂行している側の「主張」とも取れますが、どこか「他責」っぽさも感じてしまいます。

 

「経済の在り方も日々変化していっているのだから、自分で稼ぎ方を考えよう」などと、誰かや何かを責める前に、自分にも対策できることはあるはずです。

ですが、あまり真面目すぎても鬱っぽくなりますからね…結局は周囲に不快さを与えない程度の愚痴・主張(≒他責)は土星的な世界て生きていくためには健全な手段なのだと思います。

そして土星も秩序や規律を乱さないためには、そのような小さなことには目をつぶってくれるような甘さを持ち合わせているのではないかと、個人的には考察しました。

厳密に表現すると「甘さ」というよりは、秩序や規律を盤石にするためにはやむを得ないことであるという厳しさからのパラドックスなのかもしれませんが。

土星には「無駄なものを削ぎ落とす」という意味もありますので、実害のないものにいちいち反応しないのかもしれませんw

 

私自身は真面目にやりすぎてしまう側だったりするので、むしろ土星の甘さにつけこんで、もっと肩の力抜いて過ごしていく方が良さそうだなと思っています昇天

 

 

天王星の「厳しさ」について触れる前に長くなってしまったので、そこはまた余裕のある時にまとめたいと思います…!