太陽が輝いている=完全無欠状態ではない | ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

ホロスコープ勉強部屋 ~見えるものにも見えないものにも偏らない均衡を目指して

教科書通りのリーディングにしっくりこないことには、大きな意味があるはずです。納得できるまで遊び心を持って考察していきます!

昨日は待ちに待った宮崎真由子先生のホロスコープ継続講座の初日でした!!

 

天体の象意について理解が深まると同時に、キラキラした、またはインパクトのある過激なキーワードを使わずに、日常にありふれた事象についても天体の働きを通して説明いただけたことで、ホロスコープの世界とリアルな生活が繋がっていく感覚がありました。

 

改めて、占星術の勉強は、人生や生き方をどう捉えるか、視野を格段に広げてくれるものだと実感です。

 

 

ホロスコープを学ぶ上で、とっかかりはざっくりとしたキーワードを拾ってイメージを膨らませて連想していくという流れがありがちだと思います。

ただし、自己流でイメージを膨らませすぎるとカオス化してとんちんかんなリーディングになってしまうリスクもありますので、時々立ち止まって色んな先生の本を読んだりお話しをきいたりすることは改めてこれからも続けたいと思いました。

 

 

今回の講座でも色々と自分の膨らませすぎていたイメージが整えられたのですが、この記事では「太陽」について。

 

太陽は生命力や活力、エネルギー、バイタリティという、明るくポジティブなキーワードで説明がなされ、ホロスコープからその人の「人生」を読もうとするときには非常に重要であるということはよく知られていると思います。

むしろ「太陽」とはその人の「人生そのもの」ともいえるようです。

 

私の太陽は12ハウス天秤座ということで、目立ちにくい場所にありかつ品位もよろしくないという状態にあります。

そのせいだけにはしてはいられないものの、「太陽を使う」ことに難しさを感じてきました。

 

 

ですが昨日の講座のなかで「太陽を使って社会的に成功しているような経営者は、完全無欠な人格者というわけではなく、押しの強さで勝ち取っている場合もある」といったお話しがあり、目から鱗と言いますか、自分にとっては非常に新鮮な考え方を知ることができまして!

私は「太陽を使う」のイメージを壮大にしすぎていたように思います。

 

 

これはホロスコープにおける「人」を通しての太陽の働きだけでなく、自然の摂理においても言えることがあるようです。

太陽の恵みは地球上の生き物には欠かせないものである一方、熱帯地域や夏においての太陽の熱は、人の命を脅かすこともあれば、農作物への悪影響をもたらしたりと、決して良いことばかりではないということです。

 

太陽の輝きや熱は、押しつけがましさや自己中心的さといった「他者を気にしない」というような側面もあるのだと知り、合点がいきます。

 

 

また、太陽は基本的には能動性をもち「こうしよう」という「意図」をはらむ天体です。

その「意図」は太陽の「燃焼」と重ねて考えるような解説がたくさんあり、「太陽を使う」とはエネルギッシュで活動性の高い事象であるという前提を、私は知らずと持っていたように思います。

 

昨日の講座では、生きている限り、心臓が意図して止められないように、太陽も勢いはどうであれ燃え続けているといったお話があり、こちらもまた非常に興味深い考え方でした。

 

「太陽を使う」「太陽が使えていない」の二択ではなく、「どのように」使っていくか。そこを論点にして考察していくことが重要であるのだと再確認です。

プログレスやトランジットでハードな時期に、または太陽の意図に応えられる程に他の天体が育っていないフェーズや経験値が不足している時に、「太陽を使って強く激しく燃焼する」ことにこだわるよりも、ペースを緩める、省エネでやりすごす、太陽以外の課題に比重を傾ける、という選択肢をとることも、そこに自分の「意図」があれば「太陽を使えている」ということになりそうです。

 

 

目の前の出来事にすぐ囚われて一喜一憂しがちなところのある私ですが、与えられている状況で何を「意図」して、様々な課題にどのような優先順位をつけてどう取り組んでいくのか、冷静に考え直していくことができそうです。

 

 

そして、天秤座が強く、獅子座金星が強調されたチャートである私は、「格好悪いこと」への抵抗が非常に強く、自分の美学に囚われてしまいやすい側面もあるのですが、「自分の太陽が輝いたとて誰から見ても完全無欠なキラキラした状態になるわけではない」ということが知れて、「格好悪い」のハードルを少し下げることができたと思います泣き笑い

 

振り返れば確かに、社会的に成功している地位名誉名声などがある方も、その道に詳しい方からするとネガティブな評価がなされていたり、一般の人でも自分にはあわないなぁと感じる人がいたりするものです。

 

 

私にとって誰かに批判されることはすごく怖い事ではあるのですが、太陽を輝かせたいのならそれは受容していくべきことでもあると思えました。

私の場合、批判されることの怖さは、太陽の天秤座からきているというよりも、月に刷り込まれた幼少期の体験も少なくないように感じます。

洗練された天秤座であれば、自分と他者を切り分けて論理的に思考や状況を整理することも十分できると思います。

 

 

今の自分に必要なことは、「美学の追求」ではなく、「美学を緩める」「美学を再構築する」ということのようです。

結局のところ平たく言うと、今までいろんな人に幾度と言われてきた「そんな気にしなくて大丈夫だよ~」ということなんでしょうがw、それに対して「は??」となっていた私ですが、ホロスコープを通じた学びでこれ以上にないくらい納得できています泣き笑い