今日も実家へ、抗がん剤治療中の母親の様子を見に行ってきました。

母親とはいろいろあって、ちょうど1年前に書いた

https://ameblo.jp/mihuyu2020/entry-12670420079.html

こんなことがトゲのように刺さっていたり、複雑な思いを抱えています。


ブログを始めて、毒親育ち、という方々とつながりができました。その中には、もう親と絶縁している、とか、ほとんど連絡もない、という方もいらっしゃいます。なぜ親を捨てないんですか、と聞かれたこともありました。


私はなぜ親を捨てないんだろう。明確なお答えも返せず、それでもその問いはずっと心の中にありました。


それが、昨日のブログを書いて今日実家に行き、ふとそれがつながったんです。


毒親、というのも 家族 であることの利益に結びついていた危険だったのではないか、と。


毒親育ちで苦しんでいる人たちは、それを自分が克服するか、親を捨てるか、になりがちだけど、本来変わるべきは親、なんですよね。


まだうまく言葉になりませんが、私はたぶん、なぜ苦しい思いをしてきた私がそれを乗り越えたり、親を捨てる罪悪みたいなものを引き受けなくちゃいけないのか、となんかそんなモヤモヤを感じていたんじゃないかと思います。


アヘンが薬であり毒でもあるように、私にとっても親は育ててくれたという薬であり、毒でもあったわけで、その対処に困っている、というところでしょうか。