前回の続きになります。
なぜ母の中絶が私を辛くさせたかというと、これも私が女だったことにつながります。
私は小学4年まで祖母も一緒に住んでいましたが、小4で祖母の家から出て家族4人で暮らすようになりました。あとから思えば、父の弟に男の子が産まれたので、母が祖母と暮らすのが辛くなったのかもしれません。
母にしたら、男の子を産めなかったことで祖母に責められていると感じていたのかと思います。
祖母の家を出ても、その母の精神状態は変わりませんでした。ある日、どこかの霊媒師に中絶した子のことをみてもらったら、男の子だった、と嬉しそうで、その子の位牌のようなものを持ち帰り、それから家族皆でそれを拝むように言われました。
そして、その男の子はとても優秀だった、などと言われたとかで、その子を産んでいたら良かった、と。
私は当時はよく意味がわからなくて、母がもしその子を産んでいたら優秀なお兄さんがいたかもしれないんだな、と思っていました。
けれど、それを口に出した時、姉に
その子が産まれていたらあんたは産まれていないんだよ。
と言われました。それを聞いて心が凍りつきました。そして、たしかにその通りだということがわかりました。
それから私は毎日、私でなくてその子が良かったという母の思いを感じながら、私じゃなくてこの子が望まれていたのかと、そしてそれは私はいない方が良かったってことなんだと思いながら、その位牌に手を合わせていました。悲しかったです。毎日、自分がいない方が良かったということを確認させられるんですから。
だから、TV番組のように流産した子がもう一度くる、という話に、中絶した子はどうなんだ、とつい考えてしまったのです。
そして、子どもは空から親を選んで産まれてくる、ということについても、私は少し前に赤ちゃんを殺した人を選んで産まれてきたのだろうか、と。しかも、男の子を熱望している家に、女の子として。
もし、本当にそうだとしたら、私ってなんておめでたい人間なんだか。
でも、これは私の個人的なこと。そういう話を信じることを否定するものではありません。