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私はそこで
ADHDの高校生長男のお話をシリーズでさせていただき、
今はADHD?なんらか疑いがあるのかも?な4歳次男のお話をさせていただいてます。

良ければ読んでみてください💖
✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨


こんにちは。
マレーシアで3人の子育てをしている美帆です。

マレーシアで暮らして4年目。
すっかり日本のニュースにも疎くなってしまいました…

嘘です。もともと芸能スポーツ関連は疎いです…


そんな中。

ブログの発起人のYokoさんがこんな記事を書かれました。


そもそも小室哲哉氏のファンではなく、
日本のニュースも見ておらず、
不倫疑惑?記事?も全く知らない状態で読みました。
Yokoさんが記事をあげなかったら知らないままだったと思います。


これを読んだ感想を…


『今もみなさん身体的な介護をされているみたいな方たちのご苦労は僕には計り知れないんですが』
などの言葉…


謙遜なのか
もしくは罪悪感なのか
「自分は十分にやれていない」
という意味のことを何度も何度も仰っている。



これ、私にも覚えがあるのです。


「このくらいで大変って言っちゃ駄目なんじゃないか」

「もっと大変な人もいるのに、そういう方に失礼なんじゃないか」

「もっと出来ることがあるんじゃないか」

オブラートに包まず言うと

「障害でも身体で重度の方のほうが大変だろう、ADHD程度で大変ぶるなんて、失礼なんじゃないか」
そして「そんなことを考えたりするだけで実は失礼なんじゃないか」
「第一、私は本当にベストを尽していると言えるのか?今日も弱音を吐いた。まだまだ駄目じゃないか!」

と考えてしまいがちです。



実は今日も長男が学校で対人トラブルを起こし、自分の過去の子育てを思い返しグズグズ考えてしまいました。


20分ほど(^▽^;)


私はマレーシアに来て、インター校に子どもを入れ、色々な方に会い、
「自己批判を始めてもさっさと止める」
ようになりました。


謙譲の美徳という日本文化を否定するわけではないけれど…


……

いえ、あえて否定します。


やめたほうが良いんです。
自己批判を増やし、自分を卑下し蝕み、自尊感情が損なわれていきます。


自分自身を大切に思えないのに
他人を思いやる気持ちなど持ちようが無く、
それは結局謙譲の美徳の本来の意図である
「相手を敬う」
ことから遠ざかることになる
と考えています。


大変さは自分自身のもので、
それが人から見ると如何にくだらなくても小さくても大変なものは大変。


もしそれが誰かを傷つけることになったら真摯に謝って次に繋げればいい。

「(見えない)誰かに批判されるかも」
を怖がっても仕方ない。

大変な時は大変だと泣きつき、
助けてもらったら次に自分が助ければいい。
私が大変だと思ったことは誰かの役に立つかもしれない。


これは、Yokoさんの仰る
「引き算」
に繋がるのかな、と思います。
自分自身を認めるということ。
もしかしたら(本当に「もしかしたら」)とっても小さなくだらないことを思い悩んでいるのかもしれない。
でも、そんなことで思い悩むのが「今の」私。それも含めて私。
そんな私がやったことは「その時点でのベスト」。
引き算というのは「現時点からの引き算」ではなく
「理想の私からの引き算」なのかな、と。


とはいえ、私自身もなかなか身に染み付いた慣習はやめられませんが、
意識的に「なるべくやらない」ことを心がけています。


最後に、小室哲哉さんが回復されることを願います。


お読み頂きありがとうございました♡

美帆