先週日曜のちょうど今ごろは
16:30~18:00過ぎまで通院しており、
小鉄は病院で検査および三回目の抗がん剤治療をがんばってくれていました。
帰り際、先生をじっと正面からみつめ、
『先生、たちゅけてよね』とお願いしてるようでした。一生懸命生きようとしてました。
1週間前の2/18(日)の血液検査は芳しくなく、
白血球数がこれまで見たことのない1660μL(基準値60~170)になっており、
赤血球248μL(基準値550~850)、ヘモグロビン4.8g/dl(基準値12~18)、
ヘマトクリット13.4(基準値37~55)%と貧血がひどくなっていました。
(2/6(火)の消化器系悪性リンパ腫を宣告されたときは
白血球数325μL、赤血球984μL、ヘモグロビン17.5g/dl、ヘマトクリット49.4%)
2/15(木)の抗がん剤2回目は
2/7(水)実施の1回目と同じお薬を投与していただいたのですが、2回目は残念ながら効きませんした。
2/16(金)最後のうんちをあさんぽにて。
貧血症状がひどくなり、後ろ足のふんばりがきかなくなってきたようで
うんちがうまく排便できなくなりました。
肛門から出てきた小さな固いうんちを
ビニール袋を手につけてひっぱって出してあげました。
まだでるようでがんばってましたがそれ以上が出せませんした。
2/16の写真ですが、表情も元気がありません。
翌2/17は以前ご紹介しました
家族写真を足立区の舎人公園まで撮影に。
小鉄はこの移動を含めた1時間弱、
きっとだるくて仕方ない体を無理して
私たちのために頑張ってくれたのだと思ってます。
そして2/18(日)1週間前の通院日。
血液検査で出た結果がよくないので
前回2回目の抗がん剤投与から3日しかたっていませんでしたが
先生とよく相談したうえで
このまま延期しても体力的に厳しくなって、他のお薬の投与は難しくなるだろうと
その日に実施し、効果が出ることを期待しました。
いまの状況を改善するには、あとは輸血をするか否か。。。
しかしながら輸血をしてもガン細胞がきえることはないので
その新たに小鉄の体内に入った血液もまた病に侵されてしまい、延命もどこまでできるか、、、というお話でした。
とにかく進行が早く、
このお話しを伺ったときには、
2/6当初、抗がん剤治療でうまくいって
余命3か月といわれてましたが
小鉄の場合は難しいのかな、、、と
私たち夫婦に
辛い現実をつきつけられました。
翌2/19(月)早朝。
主人は仕事で仙台へ移動しました。
小さなときから小鉄が体調を崩すときは主人がいないときのようです。
小さなとき、玩具の誤飲で手術にいたった際も
主人が仕事で大阪にいるときでした。
1月上旬の水様便が出始めたときも主人が不在でした。
そして今回。
主人がいなくなることで、病が悪化しないといいな、と不安を抱いていましたが
朝、駅まで主人を車でおくったとき、別れ際に
「小鉄は今週もきっと頑張ってくれて大丈夫だから・・・」と声をかけて見送りしました。
昼間はこの写真のように体調がよさそうに見えました
(2/19・月、昼間13:20撮影)
お水もタッチして飲めてました。
飲んだ後にすぐに座り込んでしまいましたがまだ立てました。
生きようと頑張ってました。
調子がおかしくなったのは
20時ぐらいから。
2/6の病が告知されてから、
ステロイドのせいで多飲多尿になっていたので
おしっこはうちの庭で
夜はねるまでに2回、深夜2回ぐらいしてました。
おしっこしたいだろうと庭まで抱っこして下したときに
顔からうなだれるように倒れました。
このときから全く立てなくなりました。
おなかを支えてあげてオシッコさせてあげようとしましたが
できなくなったみたいでした。
強風の夜で夜中も一度ベランダでオシッコさせてあげようと
0時ごろ抱っこしてタッチさせてあげました。
うちの中にトイレも設置してましたが、排尿できませんでした。
「いよいよ明日からおむつかな」「アマゾンで急いで買わないと」と思ってましたが・・・
日付越えて深夜1:00ごろから
今まで聞いたことのない息づかいになりました。
ずっと傍でなでながら見守ってました。
蛍光灯では明るくてまぶしいだろうと豆電球の明かりの中で見守ってました。
その時、息づかいがあらいながらも
小鉄が何度か頭を持ちあげて
天井の方で何か見えるみたいに、目を動かしている様子を見た際、
『私はいよいよ、天からお迎えきているのかな』と感じました。
19年前に私の父がガンでなくなる直前、
枕元で見守っていたときと
小鉄が同じ動きをしたからです。
これを見て、
寝ている母を深夜3時くらいにおこしに行きました。
主人にも電話をし、スピーカにして小鉄に声をかけてもらいました。
そこからは小鉄も目を開けることなく
荒い息づかいでとても辛そうでした。
主人が電話で「小鉄、がんばれ!小鉄、がんばれ!」というと
本当に頑張って生きようとしていて。
そして、主人が帰ってくるのを待っているようでした。
だんだん弱っていく姿を見ているうちに
私は「小鉄、今まで本当にありがとう!いっぱいお出かけもして楽しかったね。
一緒にいられて幸せだったよ。ありがとう!ありがとう!小鉄もつらいだろうからもう頑張らなくていいよ」と
話しかけました。そんな声掛けをして数分ぐらいたったでしょうか。。。
だんだん呼吸が弱まり、しだいに止まりました。
止まった後に不思議なことに
小鉄はお口をパクパクと4~5回ぐらいさせて
何か私たちにお話ししているようでした。
そして寝ていて上の方にある
右のお目めを何度も硬直する前に
閉じてあげたのですが、
半分ぐらい真っ黒なすんだ瞳は開いてきました。
多分、主人が帰ってくるのをその目で確かめたかったのかな、と私は思ってます。
20日昼頃主人が帰宅し、小鉄は会えました。
あまりに急な病の告知と
逝去だった2024年2月。
私の誕生日を一緒に過ごしてくれた
2/10から
10日後の2/20が小鉄の命日になります。
何か縁を感じながら
小鉄がくれた幸せな時間、
思い出を大切に
小鉄のためにも
前を向いていきたいと思ってます。
抗がん剤治療してよかったのかどうか
分かりませんが
余命宣告されてからちょうど2週間、
私達にはとても短かったですが
かけがえのない時間を
過ごせたのかな、と思っています。
小鉄、虹の橋のたもとで待っててね
(昨年のこの2/25・26週末は
ちょうど伊豆・河津へ満開の桜のもとをお散歩してました。
甲状腺低下症が回復してきてでかけた旅行でした)
コメントくださりましたみなさま、
お返事できずに申し訳ありません。
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