続きの「パパ編」です。






パパ的には、かのんにとって今の状況でインクルーシブがいいのか?望むような交流がない支援級も支援学校もすごくいいとも思えない。つまりはかのんにとって本当にいいと思える環境がない。。。





とはいえ、ひまりとかのんが育っている街は、

パパがずっと育ってきた街でもあるのです。





どうもこの辺りは昔はとてもインクルーシブに育っていたようで、パパの子どものころダウン症の子もあたりまえにクラスにいたんだとか。




時代の流れと共に変わっていくとはいえ、なぜ自分が育った街がこんなことになっているのか?に疑問を持ちながらの参加でした。




「僕はこの街で育ちました」


淡々と話し始めるパパ。





「子どもの頃、ダウン症の子もいたし、いろんな子がクラスにいました。


当時は支援級はなかったからだと思います。


だからこそ当たり前に一緒に育ってきました。


希望するご家族に、支援学校、支援級が出来たことはとてもいいことだと思います。


でも、僕たちの希望は違います。その希望はそんなに難しいことなんですか?少なくとも僕はこの街で、いろんな人と共に生きてきました」



素朴な質問でした。





教育委員会の優しいおじさんも、優しい心理士の人もただただ頷いて「少し前は、判定だけで学校が決まってしまう事もありましたが、今は、親御さんと教育委員会、学校で話し合い、親御さんの希望になるべく沿っていくように配慮されるようになりました」と言っていたけど。。。




ほんとにこの2人は、反対もなにもなく私たちの話しを聞いてくれて、「きっとこの先嫌な思いはしないはずです」って言ってくれたけど、来年の学校との就学相談の教育委員会の担当は変わるという。この優しい2人と同じモチベーションの人が来るとは思えない。。。




年明けは学校と教育委員会と私たちの三者面談。




就学相談の帰り道、パパが小さい頃から通ってる、昔ながらの喫茶店に行きました。そこでパパが、今のこの街の現状を話したら、「ママ、地元みんなで応援するから、信念曲げるんじゃないよ。こういう子たちが一緒にいる事は、どっちにとってもいいんだ。昔から子どもはそうやって育ってきたんだ」とエールをくれました。




ちなみに他のところで違う人と立ち話した時も「この街はみんな一緒に育ってきたのよ。ばあば軍団はそういう子達と育つってことを知ってるから、いつでも応援団で駆けつけるわよ」と言ってくれた。江戸っ子カッコいい😭✨




地域にお友達を作って、当たり前に暮らしたい。そのための法律だってあるのに、この使えない法律は何なんだろ。


言葉だけ先走って、システムも人の心も全く追いついてない。いつか追いついてくる日が来るんだろうか?



もちろん、地域や学校によっては工夫され、配慮され、違いがある子も安心して通える学校もあるけど、それがくじ引きや運試しみたいなシステムやめてほしい。


さて。就学は一旦休業。年末は完全にリセットして、酒飲んでグダグダ過ごす予定!



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