昨日のライブが楽しすぎて、ちょっぴり放心状態のみぽりんです♪



ライブの余韻を引きずって、本日のレッスンは難易度高めだったかな?



でもさすが、私の生徒さん。

少し難しくても、

「この曲出来るようになったら絶対楽しいから来週もやりたいっ♪」

と言ってくれる。


毎週、作曲のしがいがあるなぁ。


さてさて、「父を看取るまで」シリーズ#6を書いていきます。


今までの投稿は、こちらからさかのぼれます。


 




父を看取るまで#6


父が再度入院して2週間ちょっと経ち、そろそろ退院して自宅介護が再開するかな?と思っていたころ、病院の先生から呼ばれ、母と兄が話しを聞きに行く。


思ったより容態は思わしくないようで、次の日私も病院に行き、家族揃ったところで、最終的に父の延命措置をして欲しいかどうか、本人の確認を取る。


父は、まだゆっくりなら喋れるし、話しも理解できる状態で、「延命措置はしないで欲しい」とのこと。


先生からは、「このままずっと付き添っていてもかまいません」とのことだったが、一応本人と話しも出来るし、はっきり「危篤です」と言わないので、とりあえずその日は帰り、私は次の日から雑貨屋のお休みをもらった。


翌日、母が先に病院へ行っていたので、お昼すぎに父が飲みたがっていたプロテインハチミツミルク特製ドリンクをほんの少しと、自宅でリハビリにもなればと購入していたミニハープ持参で父の病室へ。


なぜか私が行くと、ちょいちょい指を動かして呼ぶので父の口に私の耳を近づける。


このころは、父に、何か言いたいことは、ゆっくり1言ずつ言ってね!という約束をしてたので、父はゆっくり…


「し・ん・だ・の?」


なぜか、私に自分がもう死んだのか確認してくる。笑


「まだ死んでないよ♪」


と答える私。


よっぽど私や看護師さんが天使に見えていたのかな?


最期に入院していた病院の先生も看護師さんも、とても気持ちの良い対応で、私が持ち込んだ楽器も一緒になって喜んでくれた。





私が適当にポロロンとすると、興味を示したので、父にもポロロンしてもらう。

父はクラシックギターも弾けたので、元々色んな楽器が好きなようだ。

翌日は、兄も仕事を休み、母と3人で病院の近くでランチをして、3人揃って病室へ。

2020年10月10日(土)

すでに、コロナ騒動真っ最中だったのと、なんとなく父の容態が安定していたのか、個室でも、病室には最高2人までにして欲しいとのことで、いったん母は帰り、私と兄で父との時間を楽しむ。

この日は、ミニハープとミニスリットドラムも持ち込み、自分なりの天界のメロディーを奏でてみた♪

父がまた私を呼び、耳を近づけると

「し・に・た・い」

そうか…もう、じゅうぶん満足したんだね。

そして、なんとなく父の様子もおかしいので、母に電話して呼び戻し、先生も「今晩はみなさん付き添っていただいて大丈夫です」とのことで。

家族4人揃って、少し落ち着いて、今晩みんなで泊まるなら、歯ブラシとか、軽食とか、諸々兄が用意しにいったん帰ることになり。

そこで、私と母は、「リッキーの時のこともあるし、一応帰る前にお父さんにちゃんとお別れしておきな!」と伝える。

兄なりにお別れして帰宅すると、父の呼吸が徐々にゆっくりゆっくりなっていく。

息を引き取るって、まさにこういうことなんだ

と思うほど、ゆっくりと、静かに最期の息を吸って…吐ききった父

お疲れさまっ!!

本物の天界のメロディーが聴こえたかな?

うんうん。そうだね。

「もう、死んだよ」

結局、やはり母と私に見届けて欲しかったようだ

いったん帰宅した兄に電話をして、急がずに戻ってきてもらい、しばらく家族のみで父を囲み、先生の到着を待つこと1時間ほど。

ご臨終の確認より、生きてる患者さん優先で!!

先生到着して、確認していただき、

2020年10月10日19時19分

とっても覚えやすいトキを選んで、父は還りました♪

72歳のお誕生日を迎えることなく、胃ろうの手術をして約3ヶ月。

母とは、「いくいくで、逝ったね!」と。笑

本当に、最後に妻孝行をしたのだと思う。

もう看病の負担をかけない。

というのが、父なりの愛のカタチだったのかなぁ。とか、都合よく解釈してみる。

この後、病院で紹介してもらった葬儀屋さんが、またとても気持ちを汲んだ対応をしてくださる方で、結果13年ほど骨壷の状態で実家にあった兄、リッキーと一緒に散骨できる運びとなる。

とっても楽しかった散骨の様子は、最終回で♪

最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪