こんにちは!みぽりんです。


いよいよ「兄を看取るまで」シリーズ、完結編です。


ラストの珍道中までおつき合いいただけると嬉しいです♪


✽これまでの#1~3はこちらから


 



 


 



では、#4 を書いてみます。


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甲府のクリニックに入院して1ヶ月。


家族の想いとは裏腹に、どんどん衰弱して行く兄、リッキー。


上杉家では、兄弟が大人になってからは同時に飼っていた犬1匹猫6匹の世話を、ほとんどリッキーがしていたのもあり、その頃には犬猫たちも家で産まれた2匹以外旅立っていたので、兄は、にゃんこたちにも会いたいし、「家に帰りたい」と言っていた。


家族会議の結果、自宅に介護用電動ベッドをレンタルして、私たちで兄に点滴したり、できる限りの努力をしよう!!


リッキーを連れて帰ろう!!


と言う結論になった。


その日は

2007年9月29日


自宅には、電動ベッドが設置され、長兄が家で楽しくすごせるようにと大画面のテレビまで導入、いつでも兄が帰っても大丈夫なように準備万端!!


連れて帰るので、諸々手続きもあり、前の日から母が泊まっていて、父の運転で長兄と私は、少しでも早く会いたいだろうと、ぽんちゃん、ぽこちゃんも連れて全員で迎えに出発♪


兄が実家に帰って来るのが嬉しくて、行きがけに立ち寄ったサービスエリアではソフトクリームなんか食べたりして…(ソフトクリームに罪は無い)


時々母とメールでやり取りしてると、前の晩から容態が不安定で、とりあえず集中治療室のような部屋にうつったところだと。


えっ!?リッキー大丈夫!?


と聞くと、母が本人に「今みんなでお迎えに来てるからね?大丈夫?」と確認をとり、大きな声で


大丈夫ーー!!!


とのこと。


全員で病室に入り、リッキーの意識はもうろうとしていたけど、ニャンコ2匹も両サイドに置いて、右手と左手で一緒になでなでして…。


あの時のぽんちゃんぽこちゃんは本当にお利口で、逃げるでもなく、じっ…としていたなぁ。


前日からの兄の一連の様子を母と先生から聞き、父と長兄で甲府駅まで未使用の回数券を返却しに行ったその時。


ぐぐーーっと仰け反るようにして、兄は肉体を脱ぎ捨てた。


ベッドの両サイドに母と私と猫2匹。


母と顔を見合わせる。


逝っちゃった?

逝っちゃったね。


うんうん。よく頑張ったね。

えらいえらい。


痛かったね。

辛かったね。


光を目指すんだよ。

よく頑張った!!


えらいえらい。


何度も何度も繰り返す母。


まだ筋反射が残っているのか、心臓のピコンピコンという機械音が鳴るなか、院長先生からのご臨終をいただく。


ほどなくして戻って来た父と長兄に説明し、ひとしきりなぐさめた後、兄の身体をキレイにする作業を、母と一緒に参加させていただく。


兄の肉体にも感謝をこめて。


兄の身体をキレイにしたら、シーツでミイラのようにグルグル巻きにしていただき、元々連れて帰る予定だったので、車の助手席に座らせ、シートベルトで固定。


「前が見えないと可哀想」と母が兄の目のあたりを隙間開けたりして、とっても怪しいドライブが始まる。


院長先生からは、死亡証明書をいただき、「もし、万が一警察に止められたらコレを見せてください」と。


帰る頃は日も落ちて、わりとすぐに高速道路にも乗れたし、途中のサービスエリアでは、人気の無いスペースに駐車して、さっ!と用を済ませ、無事実家にたどり着く。


上杉家の実家は、アパートの2階部分なので、階段で兄を運ぶのだけど、これが最後の難関だった!


いくら骨と皮だけになってしまったとは言え、33歳の男性。

意外と重くて、腰痛の父は危ないので、長兄と私で運ぶも、「頭落ちる!頭落ちる!!」「足引っかかってる!!足!足!!」みたいな大騒ぎ。


涙有り、笑い有りで、てんやわんやの帰宅となりました。


火葬するまでの数日間は、レンタルした電動ベッドがとても役に立って、数少ないお別れしに来てくれた友達にもスムーズにお別れしてもらえた。


兄とは、もちろん「生きる」前提でたくさん話しをしたけど、とてもありがたかったのは、「死ぬ」ことについても、話しのできる間柄だったこと。


私が小学生の時に「はだしのゲン」を読んで、


何で人と人が殺し合うの?

何で死ぬのに生まれて来たの?

人は死んだらどうなるの?


と母に質問攻めをして困らせていたけど、母と一緒に学びを深め、兄ともたまに魂の話しが出来る関係だったのが、救いだった。


そんな訳で、「自分が死んだらこうして欲しい」という要望も聞いていた。(海への散骨もその1つ)

とても大切なことだ。


特に、母と魂レベルで実感できていなかったら、母は気が狂っていたかもしれない。


それでも母は、「代われるものなら代わってあげたい」とよく言っていたけど。


リッキーがこの世を卒業して1週間が経った頃、ふと夜寝る前に「今ごろ何してるかなぁ〜?」と考えると


突然、目を閉じていても眩しいほどの真っ白な光(エネルギー)に包まれて、この上ない多幸感に満たされ、涙があふれた。


すぐに、リッキーが、「今こんな感じだよ〜♪」って教えてくれたとわかった。


この体験のおかげで、心底安心して癒やされたのだ。



「死に様」を考えるとき、それは、「いかに生きるか」を考えるとき。


私は、「あー楽しかった!ありがとうっ!!またねっ!」って卒業しよう。


「兄を看取るまで」シリーズ、最後までおつき合いいただき、ありがとうございました!!


しばらく日常に戻って、また気が向いたら、「父を看取るまで」シリーズも書いてみようかな?

こっちは、そんなに長くならないハズ。笑





確か、癌宣告される前のリッキー♪


またねっ!!