私はどちらかというと
「私を見て!ねぇ私を見て!」という
周囲への欲が強い人で。
まぁ突然何を言いだすんだって感じですけど
今日はちょっと語ります。
なので
わぁー久しぶりに語っちゃってるよ
大和田美帆ー。と
軽い気持ちでお読みくださいませ。
誰かに自分を見ていてもらいたいという感覚。
それがこの仕事に向いているところでもあるけれど、そのせいで友人を嫌な気持ちにさせたり、揉めたことも正直あります。
私を見て!って思うことは
きっと、
「誰も私を見てない」と思ってしまうということで。
それは
「誰も私のことなんて見てくれてない。」
という、親が芸能人でみんな親のことばかり見ていて自分のことは見ていないと思っていた、幼少期の家庭環境のせいなのか、、、
その一方で、
一人っ子で親が愛情を一身に注いで可愛がってくれたおかげで、「いつでも誰かが私を見ている」 だから「誰かに見ていて欲しい。気にして欲しい」と思いがち。という全く逆の見解もできるわけです。
そしてそのどちらでもなく
生まれながらの性格かもしれない。
どちらにせよ
育ってきた環境のせいにするのもつまらないので
どうにかその性格を直したいなぁと
ここ10年くらい試行錯誤してきたわけです。
もしかしたら直す必要もないかもしれないけど
直したいと思ったのよね。私自身が。
だって、誰も見てなくなって気にしない人はしないんだもの。誰も自分のこと見てないことが普通の人だっているんだもの。
そして最近
2歳3ヶ月のワガコの
「私見て!ママー!こっちきてー!私を見ててー!」 アピールが激しくなってきて
これはちゃんと見てあげなければ、
私のように、
「私のことなんて誰も見てくれない」と
思う大人になってしまうのではないかという
恐怖にも似たような焦りでいっぱいになり
全ての要求に応えてあげたいと
思ってしまいがちになることがあります。
それが、、、いいのか悪いのか。
結局、
子供の要求に全て応えることが
果たしていいことなのか否か
分からなくなってくるわけです。
世の中はそんなに甘くないわけだから
世の中に出る前に、家庭の中で厳しさを味わってほしいともおもっています。(まぁまだ2歳なので躾という意味ではもうすこし先なのかもしれないけど)
泣けば要求が全て通るとも思わせたくない。
葛藤です。試行錯誤です。
きっとよく言われるように
育児は育自で。
それでいて自分の過去と向き合う時間でもあって。
自分がしてもらったことを我が子にしてあげる時と、自分がしてもらわなかったことを我が子にしてあげたい時がある中で
自分はどんな育児をしていくのかなぁ。
と、しみじみ思いながらの今夜の寝かしつけタイム。
そしてどの育児にも正解はなく
答えだって曖昧なのだから
囚われずに自分なりの育児をしていきたい。
でも自分なりの育児に自信が持てなくて
不安になることも多々ある。
決して簡単なことではないですよね。
人を一人育てあげるのって。
でも育児は面白いこともあって。
ワガコを通して幼少期の自分とも向き合って
いつのまにか蓋をしてきた
本当の自分に出会えそうな気がしています。
小さな子供は音楽が聞こえれば体を動かし
シャボン玉を見れば追いかけ
空の雲をぼーっとずーっと眺めてる。
いつからそれをしなくなったんだろう。
(私はこの3つはまだしちゃうんだけどw大抵の大人はしないですよね)
痛ければ泣いて
恐ければ泣いて
寂しければ泣く。
「大丈夫!」と言うことが大人になることだと思っていたけれど、大丈夫じゃない時に、大丈夫じゃないって言えなくなって結局自分の首を締ることもしばしば。
世間体とか、親の目とか、学校の方針とか
色んなものから解き放たれたとき
本当にしたいことは何なのか。
本当は大丈夫じゃないんじゃないか。
本当は弱いんじゃないか。
本当はワガママなのか。
奥の奥に隠れている
小さい頃の自分が
常にオープンマインドで我が道を行くワガコによって掘りかえされてるようなそんな感覚。
不思議な感覚。
本当はイライラすることも
発狂したくなることも
泣きたくなることもある。
むしろそっちか本当の自分なのかもしれない。
自分でもコントロールできない自分こそが
本当の自分。
それでもいいじゃない。
人間だもの。
って、最後は
あいだみつをみたいな感じで
今日はうまくまとまらないまま
ブログは終わります。
笑
心を整理してからブログ書いてよー!
という苦情のコメント、
来ても仕方ないねw
とにかく育児は育自だなぁと思う日々であるわけです。
みほを。