アマデウスが終わって
もう何日も経って

ほとんどの時間をワガコと過ごすという
舞台前の日常が戻ってきました。

公園に行ってお昼寝させて習い事に行って
夕飯作ってお風呂入れて寝かしつけて、、、


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ママ友と会って
他の子供とも遊んで
主婦としてのいろんな話をして、、、
テレビのお仕事もして、、、。

もう、アマデウスの期間が夢のようです。

人間って自分の置かれた環境に
純粋に順応する生き物なんですね。


ワガコとべったり過ごせることもお芝居をすることとは比べものにならない程とても幸せなこと。
8月から10月末まであまりできなかったことです。

やはりお稽古と本番は
昼から夜遅くまで家をあけることも多く

とにかく家族や保育園にたくさん
助けていただいて何とかなったという感じ。

どうしても保育園の時間内で終わる仕事ではないのでね、お迎えや寝かしつけまで家族には本当に助けてもらいました。

はじめは、その申し訳なさというか
今まで2年間べったり私がやっていたことを
突然代わってもらう不安でいっぱいでした。

ある夜、洗濯しようとしたらワガコのズボンから
ポトンとドングリが落ちたことがあって。

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それを見て「私が知らないところでドングリを拾ってポッケに入れたんだなぁ、、、」と普段なら何も思わないのに感傷的になって涙する夜もありました。(記念に写真撮ってたw案外冷静)





だけどもさすが子供。

順応するんですね。

私以外の人でもすんなりお風呂に入って
寝てくれると聞いてとても安心しました。


されど子供。

会える時間が減った分

会えた時の甘えん坊度はグググと急上昇。

昼公演のみの日の夜は
本番後の身体に鞭打たれるかのように
「食べない!お風呂入らない!寝ない!」
が続き、、、

ご飯も食べずに急いで帰宅した日は
イライラが止まらないときもありました、、


でもつまりやっぱりワガコなりに
いっぱい我慢してくれていたわけで。


そんなワガコの頑張りは

私の仕事への姿勢をまた何倍も
真摯にまっすぐにしてくれたのです。


せっかくの機会だもの。
大切な機会だもの。
精一杯、私なりに全力でやってやる!

この気持ちが一度もしょげることがなかったのは
ワガコの存在が大きかったと思います。


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会社勤めの方と役者とで違うとしたら
働く時間や、休みが土日じゃないことや、何年も続く仕事ではないというところでしょうか。毎日何年も働いてるお母さんにはもう脱帽です。

アマデウスに関してまずは2ヶ月半頑張ろう!と割り切ってトライすることができました。その代わり来年や次の仕事が保証されてるわけではないし育休もないので、そこの不安定さはありますが。頑張れば次に繋がる。これだけを信じてなんとか続けています。


この数ヶ月で1番ひぇー!だったことは

私が体調不良のとき。

一人でゆっくり寝たい時間まで寝たり
喋らずに喉を休めたり
自分だけ適当なものを食べて過ごす

なーんてことはできなかったこと。

これ、どの仕事でも、仕事をしてなくても
きっと一緒ですよね。

大阪で少し喉の調子が悪かったとき
ちょうど休演日で、、、

独り身のときはとことん寝たり
誰とも喋らない生活を送れていたのに、、

ワガコを遊びに連れ出し
「待って!」とか「こっちよ!」と喋るたびに
しんどかったのを思い出します。

ただ、この舞台期間中、全く熱も出さず
保育園もお休みせず心配もさせなかったワガコには本当に本当に感謝です。

保育園からの電話がいつくるかとドキドキしながらのお仕事でしたし、どうしても携帯を確認する時間が増えちゃいましたね。
電話が来ても絶対に抜けられないので、代わりに迎えに行ける人を決めておくのもなかなか難しい作業でした。


お迎えの時間があるのでどうしても
時計を意識しながらお仕事してしまうこと。

これは大変だったことではなく
反省点ですね、、。


特に稽古というものは毎日終わりの時間がきまっていないので、、その日にならないと何時に終わるか分からないのです。これは、、、保育園の終わりの時間も関係してくるしドキドキしていました。


でも幸四郎さんをはじめ、キャストスタッフの皆様がいつもワガコのことを気にかけてくださったり、時に「みほちゃん頑張ってるね」なんて涙ちょちょ切れるお言葉をかけてくださるような優しい現場だったので、本当に有り難かったです。

そういうちょっとした一言に
何度も心救われました。

もちろん迎えに行った時のワガコの笑顔にも。
  


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振り返ってみると、大変なことはあっても
この舞台に挑戦してよかったなと思えます。


やっぱり芝居が好きだと再確認できたし
やっぱりワガコが好きだと離れて思えたし

そしてなによりも

母が私を置いてまで仕事に出かけていた理由がやっと、本当の意味で理解できたような気がします。

著書「ワガコ」にも書きましたが、、、

「母は私よりも仕事を選んでいる」
と小さいながらどこかでそう思っていました。

でも今ならわかる。

母は「子供も仕事も選んだんだ」と。

どちらも選んでどちらも一生懸命だった。


今回、オットとワガコに作り置きの料理を作りながら、、、朝出かける前に母が必ず朝ごはんを用意してくれていたのを思い出しました。

やれることは全部やって出かけたい。

これは母から譲り受けた負けず嫌いの精神でしょうか、、、どちらかを疎かにしたくなかった。もちろん、どちらも完璧にはいきません。

病院にカバンごと全部忘れてしまって、それに気づくのが遅くて稽古に遅刻しそうになった日もあったし(これはワーママ関係ないw)、下着を付けるのを忘れて出かけそうになった日もあったし、泥棒が入った後か!ってくらい散らかった部屋のまま出かけたこともあります。保育園を予約するのを忘れててバタバタした日もありました。あ、保育園での大事な面談も忘れてしまっていました(>_<)

思ってたことの半分もできなかったけれど

それでもいいんじゃないか。完璧を求めなくていいんじゃないか。ということも
学ぶことができました。
そういえば母も完璧ではなかった、、、時々子供の頃、母に向かってその完璧ではないところを責めた自分を、今なら羽交い締めにしてコチョコチョしてペチペチしてやりたいです。


そして今回
両親にワガコを預けることが数回あったのですが
その度に

私に夕飯を食べさせ、お風呂に入れて
寝かしつけてくれた祖父や祖母を想いました。

両親共働きの一人っ子だったので
よく祖父母の家に泊まっていました。

私自身、両親だけでなく祖父母にも沢山愛されて過ごした記憶がしっかりとあります。寝る前に読んでもらったピーターパンの本は両親ではなくおじいちゃんの声で耳に残っています。

母と離れるのは寂しかったけれど
同じくらい祖父母のことも大好きだった。
ワガコも祖父母のことが大好きになるに違いありません。いま、両親が元気でいてくれることに心から感謝です。

祖父は10年以上前に他界。
そして

アマデウスの最初のお稽古の前日。

ブログにも何度も登場していた、母方の祖母が94年の人生に幕を下ろしました。静かに穏やかに全ての仕事を終えたように息を引き取りました。老衰でした。

祖母はあの時代に珍しく働く母親だった。

一人っ子の母を抱えて、バリバリ働く女でした。

働いた自分のお金で一人でツアーに申し込み、海外旅行にでかけるのが好きで、その旅行先から私によく絵葉書を送ってくれました。「娘のお金で旅行に来てるわけじゃない!」岡江久美子の母親だとバレるとそんなことを言っていたらしい強気な祖母でした。

母も働く母親です。祖母がお葬式の会場に移動するときには祖父の時と同様、仕事で来られなかった。一人っ子で親のことが大好きだった母。祖母の死を誰にも言わずどんな気持ちで仕事をしていたのかと思うと本当に頭が上がりません。

でも奇跡的に家族やお世話になった方々みんなで見送ることができました。祖母のおかげです。私も稽古に入る前だったので参列できました。

祖母のお世話をしてくれていた親戚や母に、舞台が始まってから私のサポートに集中してもらえたのは、変な話、祖母が旅立ったことが大きくて。
そう考えると、祖母も応援してくれてるんじゃないかと。この、大きな機会に全力でトライしてみなさい。あんたも働く母親として頑張りなさいと言ってくれてるような気がして、ますます頑張れました。


アマデウスの登場シーンと次のシーンとカーテンコールで付けていた指輪は実は祖母の形見です。
祖母の宝物だったものを衣装デザイナーさんに見ていただいたら、ドレスとぴったりだと言ってくださったので使用しました。
宝物のまま付けたかったけど
悲しいかな形見になってしまいました。

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祖母から受け継ぐ
働く母親の精神。

ワーママとして私は
これからも
 
やりたいことをやっていきます。

悩んでました。迷ってました。
舞台をやった今でも
悩むことも迷うこともあります。
正解なんてないと分かってるからこそ
私自身、寂しい思いをしたからこそ考えます。

でも、明らかに舞台をやる前と
見えてる未来は違う。

欲張りでもいい。
誰に何を言われたって構わない。

上手くいかなくても
思ったことの半分もできなくても
たまに心がぐちゃぐちゃになっても
やっぱりダメだったという日が来たとしても

絶対にワガコから目はそらさない。
というベースは崩さずに
私は私のやりたいことを全部やってみたい。

一度きりの人生
後悔しないように楽しみたい。

今そう思っています。


たくさんの方に支えて助けてもらいながらになりますが、どうか、どうかこの先も母親大和田美帆だけでなく、役者大和田美帆も応援していただけると嬉しいです。


最後になりましたが
アマデウスの期間中
このブログで応援してくださっていた
皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

本当に本当にありがとうございました。

そしてどうぞこれからも
よろしくお願いします!!!



また長くなっちゃった、、
ε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘