「人は幼い時に、自らの”人生脚本”を書く。

”人生脚本”は親からのメッセージや禁止令により作られ、

人生の重要な局面で、その行動を決定的に左右する

強いパワーを持つ」

 

 

えっ?えっ?人生脚本?

うっそー!

私の人生、そんなものに操られているの?

 

ご訪問ありがとうございます m(__)m

 

エリックバーンの提唱した理論

交流分析の”人生脚本”を学んだ時

自分の人生脚本を、めっちゃ知りたくなりました

 

学びを振り返り、本を読み、思索しました

 

その思索どおりではありませんが

思うところをつらつら書こうと思います

 

まずは私の出生から・・・

 

 

私は、ギャンブル狂の父とヒステリックな母の

次女として生まれました。

 

姉が1歳になる前に私の妊娠がわかり

母は生活ができなくなると、

私を堕胎しようとしたようです

 

しかし、手術台に乗ると急に怖くなり

病院から裸足で逃げて帰ったそうです

(やめますってちゃんと言って帰ろううよ~母!)

 

そのお陰で今

私は存在しています (ヨカッタ~)

 

そんな私は

名前を付けられることもなく

日々は過ぎていき

出生届け提出の期限がきて

しかたなく

父が「ゆかり」と名付けたそうです

 

「ゆかり」とは近所にある橋の名前・・・ (-_-;)

 

それはないやろ~と母が却下し

父が本を見ながら「美保」と付け直したそうです

 

私はずっと、この「美保」という名前が大嫌いでした

父が大嫌いだからだと思っていましたが

実は、自分が大嫌いだったからだと後にわかります

 

父のギャンブルへの執着は凄まじく

お金がなくなると

母を、殴る、蹴る

髪の毛を掴んで引きずり回して
わずかな生活費も取り上げていく

 

私はその光景が恐ろしくて

ただ、ただ、泣いていたのを覚えています

 

生活費にも事欠き、ストレスまみれの母は

いつも機嫌が悪く

私と姉に当り散らして

暴力もよくふるいました

 

今なら、虐待、ネグレクトと呼ばれる状況です

 

みんなと同じものは買ってもらえない
いつ殴られるかわからない

 

それよりも辛かったのは

幼稚園に行かせてもらえず

かといって家にもおいてもらえず

朝起きるとすぐ、昼過ぎまで

強制的に外に出されることでした

 

身の置き所がないということは

自分の存在すら認められなくなります

 

「死にたい」ではなく

「消えてしまいたい」という感覚に

ずいぶん長い間、悩まされました

 

極度の機能不全の家庭では

普通にしていては

愛されないどころか

危機的状況になる

 

私は、常に頑張って

特別な存在になる努力をしていました

勉強も、運動も、人間関係も頑張りました

 

高校卒業後は

グラフィックデザインの専門学校へ行き

週の半分は徹夜をして課題をこなし

一番の成績で卒業し

グラフィックデザイナーになりました

そんな私でいると

母は少し穏やかな気がしました

 

「いつか私が母を幸せにするのだ」

そんな信念にも似た感情を、いつも持っていました

 

頑張っていい子を演じていた私は

成人すると、自分の中の偽善に耐えられなくなりました

 

良くない自分は押し殺し

表面に出している自分の善は

本心ではなく、嘘、偽り・・・

 

自分への激しい嫌悪感にさいなまれました

 

そして

自分が押し殺してきた

良くない部分を持つ人を見つけては

関わり、改善しようとする

いわゆる、おせっかいに精を出していました

 

結婚相手も、まさにそういう人を選びました

何とかして自分を統合したかったのだと思います

 

お酒の席で、初めて聞いたその人の言葉は

「俺は、生まれてから一度も人に愛されたことがない

親からすら愛されたことがない」でした

地獄の底にいるような人に思えました

 

その時、私の中の何かが発動しました(笑)

 

救いたい・・・

 

ろくに知らないその男性に
私の口は、その場で

「好きです。付き合って下さい!」と言ってました

 

後にも先にも自分から告白したのは初めてでした

 

そして、ゴールイン

 

そう、私の人生脚本は

「救済者」だったのです

 

 

 

不幸な人を幸せにする

機能不全の家庭における

定番の役割のひとつだと思います

 

私は小さい時から大人びてました

甘えないから可愛げがないと

身内からも、付き合た男性からもよく言われました

でも、甘えた経験がないので

甘えるということがわからないのです

 

結婚生活はというと悲惨なものでした

 

双子を授かり、育児に疲れ果て

産後2か月で、癌が見つかり手術し

抗がん剤治療もしました

 

3年後には主人が仕事に行けなくなり

喧嘩が絶えなくなりました

お互い自分のことでいっぱいいっぱいで

相手を思いやるどころではなかった

(主人は結婚前から、うつ病とパニック障害でした)

 

でも、救済者は我慢強いです

そんな生活に14年耐えましたが

40歳を前にして

”これは私が生きたかった人生ではない”

という思いが、ふつふつと湧いてきました

(ユングの40歳 自己実現説は本当だと思います)

 

自分を見つめ直し

破綻していた夫婦関係を修復しました

新婚時代以上にラブラブとなりました

 

そして1年後、離婚しました

 

私が、そして主人がそれを選んだのです

 

頑張ったけど、救済者にはなれませんでした

なぜならば

救済が一番必要だったのは

私自身だったからです

(笑えるわ~)

 

離婚後は、人の死に向き合いたいと思い

介護職を選び、11年勤めました

 

介護士として働き始めた翌年に

母がアルツハイマー型認知症になりました

 

6年前に父が脳梗塞で倒れ

同じ日に姉が癌で入院し

私が同居し母の介護を続けました

翌年、父も姉も亡くなりました

 

人生脚本のパワーは凄いです

一人で看れる限界を超えても

なかなか母を手放すことができません

 

24時間目が離せなくなり

私自身もボロボロになり

ようやく

”母は不幸な人ではない”

”母はちゃんと自分で生きる力を持っている”

いつまで救済者をやってるんだと

自分に叱咤し

つい2か月前、なんとか施設入所に踏み切りました

 

不幸になると思っていた母は

なんと!

 

家で私が看ていた時より

顔色もよくなり、元気で楽しそうです

私も夜ぐっすり眠れるようになりました

 

それが、いいとか悪いとかではなく

間違いなく、私の人生脚本は”救済者”

はた迷惑な救済者です

 

でも、好きでやってた訳ではありません

とても苦しかったです

しんどい脚本ですから

体にも出て癌も再発し、2度目の手術もしました

 

人生脚本を知ることは大事です

 

何だか悔しいから

お姫様の台本に書き変えようと思いますが

なぜか今、カウンセラーやってます(笑)

でも、めっちゃ楽しいです

 

やっぱり懲りずに救済者 (^^)/

 

でもその質は、今までと全く違います

心を学んで

無意識にある痛みを解放し

ありのままの自分を受容できたから

 

”ただ生きている”それが辛かったのに

”ただ生きている”それが今は喜びです

 

救済者やって

身についた能力や知識もたくさんあるので

両親にも環境にも感謝です

 

長文最後までお読み下さり、ありがとうございました

 

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