20日は、さよならパーティーと銘打って、おじさん、おばさん、私たち一家でパーティーをしました。
リンゴの隔離も解いて、みんなで食卓を囲みました。

イチゴは、あやとりを使った手品、くもりガラスの襖を使った影絵、バレエ、寸劇などでおばさんたちを楽しませました・笑
海で拾った貝殻でプレゼントも作って渡しました。


21日。
イチゴとオットは、東京へ帰りました。
新幹線まで送ったところ、イチゴ、まさかの大号泣。

無事に帰宅してからも、電話するたび号泣。
スイッチが入ってしまったようでした。

なついたおばさんたちとの別れに加え、私と急に離ればなれになることが悲しかったのでしょう。


翌日、22日。
朝の電話では、イチゴは元気になっていました。
しかし、リンゴの体調はもうひとつ…。
念のため受診し、いつ東京に帰ろうか相談したところ、

「25日以降ですね」

とのこと。

やはり、インフルエンザは、発症から一週間はぶり返すリスクがあるそうで。


今日、23日の時点では、リンゴはかなり元気になってきました。
現時点での今後の選択肢は四つ。


①明日、リンゴと帰宅する。
○イチゴと早く合流できる
×リンゴにはまたまた強行軍


②あさって、リンゴと帰宅する。
○リンゴに負担が少ない
×イチゴに淋しい思いをさせる


③明日、イチゴとオットにまたこちらに来てもらい、しばらく滞在する
○リンゴに負担が少ない
○イチゴと早く合流できる
○まだしばらく東京から離れていられる
×おばさんたちに負担をかけすぎる


④明日、イチゴとオットにまたこちらに来てもらい、25日以降、近隣に旅行に出る
△リンゴに負担が多くない
○イチゴと早く合流できる
○まだしばらく東京から離れていられる



ちょうどオットがお休みを取れるため、フレキシブルに動くことが出来るだけに、迷います…。

う~む、もう少し考えます!



とにかく、今の願いは、原発問題が落ち着くこと。
それに尽きますね。

節電もしますし、被災された方への私なりの支援も、もちろんします。
それも、長期的にする覚悟は出来ています。

しかし…とにかく、私の弱点、子供たちの健康問題にめどがつかない限り、悲しいことに、私は使い物になりません。

自分の非力さを呪うばかりですが、致し方ありませんね。


今回、西に避難した理由は、とにかく、

「子供たちのためにやろうと思えば出来ることをしないで後悔したくない」

という理由でした。


実際、西に移動するにつれ、心は嘘のように穏やかになりました。

しかし、反面、移動後に聞き間違いで

「原発がいよいよまずい」

と勘違いしたとき、私の心はまさに真っ暗になりました。
移動しておいて良かったとは、思えませんでした。

被災地の、ご自分や近い家族が助かった方の気持ちがほんの少し、ほんの少しだけ、分かった気がしました。
その意味でも、良かったと思いました。


また、普段は風邪もひかないリンゴのインフルエンザ。
そう、災害も病気も、どこまで逃げても起こるときは起こる。
後悔しないように日々を生きることが大事で、逃げ回っても仕方がないのだ、ということも改めて実感しました。


「今後日本はどうあるべきか」

何とか頭をもたげて、みんなで考えていきましょうね!