障害当事者が支えあうのに必要なことは

障害特性を理解しあうことだと思います。


私は 障害者だー と叫ぶわりには

自分の障害や特性を 自己理解していないまま 

自分は 特別扱いされたい人ばかり。


自分には こういう特性があって

     こういうことに配慮が必要

ということが きちんと 相互理解できて、初めて 特別扱いが起きても

仕方ないね とか お互い様 という

感覚になるのでは?

と感じます。


根拠なき 特別扱い が、軋轢を生み

お互いに 得体の知れない存在

という感覚が生まれます。


合理的配慮 の中で

ガマンしなくても済む 環境が

特別扱いを目にしても お互い様に

なるのではないか と、考えます。


今日 訪問看護さんと話していて

少し 整理がついたのが


福祉の中でのトラブルは

話して理解できる側は ガマンさせられ

話して理解できない人には 注意しない

という 暗黙の了解がある ということ。


そして それは 利用者は知らない

ということ。


話して理解できない人が 

理解できる側から見たら

得体の知れない存在 となり


理解できない側は 理解できる側が

どれだけ キツい言葉で叱られているかも知らない という現実もあります。


トラブルの元を作る側は

圧倒的に 理解できない側なのに。


障害云々ではなく、知的の問題も

ありますが。


得体の知れない存在同士が

わかり会えてるのも

不思議な光景です。


いっそのこと 知的障害者の施設に

してしまえば 平和なのに 


差別や偏見に対峙したことがない人が

対峙してきた人の苦悩を理解することは

不可能です。


相互理解が不可能な空間で、

みんな楽しく なんてものは 幻想です。