三原朝彦 ~あさやんブログ~

三原朝彦 ~あさやんブログ~

衆議院議員
自由民主党福岡県第九選挙区支部長のブログです。


菅総裁、二階幹事長はじめ自民党党執行部、自民党福岡県連執行部と福岡県選出国会議員の立会いの下、

3月18日に服部誠太郎氏へ推薦状が交付されました。

 

 

 

※写真撮影時のみマスクをはずさせていただきました。

 今日世界中の国々で先づ対処しなければならない事は勿論コロナ禍の終息です。コロナに対するワクチン注射も各国で行われ始めました。やっとですが我国も医療従事者からワクチン接種が開始されています。

 さてそうなると次の国家目標は経済の回復になります。コロナ禍克服対応と経済復興はどの国にとっても主要テーマですが、特に先進諸国にとり文明の恩恵を受けて豊かな生活を享受して来たが故にここ一年有余の不自由な日々は耐えられない程になっています。その典型の国の一つがフランスです。個人主義が徹底しているフランス人にとり例えこのコロナ禍の下と言えども国家権力をもって個人の行動を抑制されるのは実に我慢のならない事なのです。そんなフランスの世界的に有名な学者のジャック・アタリ氏が「命の経済」(ジャック・アタリ・プレジデント社)を上梓したので早速購入しました。

 著者は元々は経済学者なのですが、博覧強記、書かれている内容は経済に関する事は勿論ですが社会学から人類学、政治学まで広範囲に及んでいます。更には短期間で統計資料も揃え、読者に更に判り易くコロナ後の世界がどうあるべきかを説いて呉れます。

 著者はコロナ禍を上手くコントロールした例として韓国を説明します。数字の上では中国のコロナコントロールが手本となるべき所ですが、そこは民主主義にがっちり根差して思考する著者ですから、上からの権力の命で抑えつける中国式コロナ解決法を評価しません。又同時に自由から放埓へと進んだ米国に対してもコロナ終息と経済優先の順序の間違いを批判し、米国のこれからの指導力に疑問を呈します。

 と言っても米国そのものの影響力を疑っても米国が生み出した巨大デジタル産業の例のGAFAプラスMに対してはその役割に関しプラス効果のみならず問題点も示し、今後の世界での彼等の活動に対し世界の人々が上手く活用すべきとある意味では積極的評価をしています。その為には私達が変化著しい文明の利器の有効利用に対し教育が重要であることを提示します。

 この本の題名にもあるように命に対する保護についても今以降に必ず起こる次のパンデミック(伝染病)に対するこれからの適切な準備の重要性、それも医学のみならず広範囲な日々の保健衛生への心構えにも言及しています。

 とは言え著者の最も伝えたかったのは矢張り民主主義自由主義の雄たるフランス人としての考えです。つまり著者は民主主義は世界で何が起ろうとも保持しなければならない。その為には、として著者は「闘う民主主義」の五原則を提示しています。その五つの原則は順に(一)代議制、(二)命を守ること、(三)謙虚であること、(四)公平であること、(五)将来世代の利益を民主的に考慮すること、と説明しています。

 第二次世界大戦後既に七十六年経ちました。世界中が揺れたあの戦争以降で世界全体が恐怖におののく戦争とは違う経験を今私達はしています。その中でも著者は一日も早いコロナ禍の終息を念じながら今後の世界の行く末を案じています。しかし著者の理念は民主主義、それも一人一人の声が反映される事こそが大切で、あく迄も上からの権威による指導の社会は、例えそれが時には功を奏する結果(つまり中国のコロナ早期収束)をもたらしても是とはしないと固く信じています。

 基本的には著者の考えに私は賛同します。それは国民の教育が皆に行き渡り、国民全てで作り上げる型の国家であるからです。フランスや日本は国民一人一人の考えが集約されて国が運営されますからまさに民主国家と言えます。この両国は中国に比べ未だコロナ禍のコントロールに手を焼いています。それでも著者も説く様に民主主義の下でのより良い社会こそ私達が求める未来なのでしょう。


 

 ふる里北九州の作家火野葦平没後六十年というので市立文学館で周年行事が行われています。コロナ禍の折でもあり、もし入場者が多ければ見学を諦めようと思って出掛けました。予想通り閑散とした館内でしたから割とノンビリ作者の業績を学ぶことが出来ました。そこで知ったのですが、氏が亡くなる十日程前に脱稿した遺作が「革命前後」(火野葦平・社会批評社)で今日のテーマです。

 

 火野と言えば芥川賞の受賞作品の糞尿譚や兵隊物が有名です。しかし私はこの「革命前後」の存在を知りませんでしたが、文学館の催しを見て初めて知り、新書購入は難しかろうと思い図書館に出向いて手に入れました。手に取って見ても私以前に借用した人の形跡がなく新品そのものでしたから、戦前戦中火野は可成りの人気作家と聞きますがこの本の出版の頃は氏の戦中の兵隊作家のイメージが強くて戦後の世代には顧みられなくなったのかもしれません。

 

 私は先きの大戦を体験していません。活字やテレビを通し戦争の愚かさ、悲惨をみるにつけ聞くにつけ二度と再び戦争をしてはいけないとの絶対心理を持っています。それ故にこの所二年に一度(コロナ禍の為に昨年は実行出来ませんでした)私は我国兵士が散華した海外の地を戦跡慰問しています。コロナ禍が終息すれば火野葦平も従軍したと言うミャンマーからインドのインパールへの足跡を訪ねてみたいと思っています。

 

 本の感想の前にいらぬ事をグダグダ書き連ねました。本題に戻ります。作者が自死する直前迄ペンを走らせた「革命前後」は自身を含め戦争中とその敗戦後の人の心の動き、変化を作者は適切な観察眼で書き綴っています。氏の兵隊三部作の中での戦場における自らを見つめ同僚を見つめる目は戦争そのものの善悪より自軍が直面する戦場での勝利、そして自分、戦友が生き延びる事が絶対のもので、戦争が侵略的であるか、善か悪か等の疑問、つまり敵側の反抗の理由の正当、不当は問題にはなっていません。

 

 しかし戦争が終わり、新たに生きる為の苦労が目前の難事業となったとは言え、生死をかけた戦場とは明らかに緊張感、死生観の違う環境の下で日々を送る中で、戦争と言う極限の下にいた時の自分を見直し、又そこで発生した兵隊達の常軌を逸する行動を思い出し、実は自分を含め人間への不信を強く作者は感じたのではないかと私には思われます。何しろ彼自身半死の状態でもがく敵兵を見ても、死屍累々の敵兵を見ても同情心は起らず、自分と同僚の生存のみを安堵するか如き経験をした事もあったのですから。

 

 作者がこの書を脱稿する時代は既に戦後の混乱期は終り、我国は高度成長期に入ろうとする時でした。神州日本、そしてその下で大和魂なる精神論を振りかざしてアジアの盟主様の行動をして大失敗した日本は今度は経済一本で前進し始めました。作者にして見れば先きの戦争の総括もなく、又その犠牲になって命を落した兵隊達への評価も定まらず、又一方でこの戦争の責任主体も納得出来る状況でない中、感受性豊かな作家としての火野葦平は時代の変化、人の変化に大いに悩み、この先の日本の方向を憂いて自死の準備をしてこの本を書いたのでしょうか。

 

 作者は先きの戦争で下士官兵でもあり従軍報道班員でもありました。氏は先の戦争を指導する軍人政権に何の影響も与え得る立場には全くありませんでした。しかしこの本の行間から一兵士としての自らの生き様に対し平和裡の一市民になった自分が振返って見てあの戦争の意味を忸怩たる思いで深く心の中に刻んだのでしょうか。国家の存亡をかけた戦争を体験した作者のような人が自死ではなく、もっと戦争の愚かさを後生の私達に伝える作品を生み出して二度と再びこの愚行をせぬ覚悟を私達に教育して呉れていればと私はしみじみと思います。

 

 社会に対するコロナ禍の影響とその収束の為の努力は今日最重要な課題であり、1日でも早く正常な日々が訪れる事を私達は希求しています。と同時にコロナ収束後に待ち構えているのは疲弊した国内外の経済を如何に立ち直らせ再び世界経済を成長軌道に乗せるかでこれが第一義に取組むべき問題です。

 

 「新・資本主義論」(ポール・コリアー 白水社)は先進諸国が脱工業化社会に急速に進む中でこれ迄の農業中心の社会、工業化社会を経ながら数々の社会の問題解決を行い、今日至ったその過程への信頼を持ちつつ、只今の脱工業化社会への進行がもたらす数々の矛盾に対しこれ迄と同様に挑戦して社会発展を為すべく常に公正の理念に立つ著者の提言が示された1冊です。

 

 著者の専門は開発経済学、特にアフリカの開発に関しては世界的な泰斗です。私も氏の「最底辺の十億人―最も貧しい国々のために本当になすべきことは何か?」という書をかつて読みました。氏の貧困国とその国民への暖かな眼差しを強く感じたのを私は今も記憶しています。今回の書は氏の母国イギリス社会における貧と富の格差を中心テーマにして社会全員の努力と協力で誰も取残されずに社会を前進させるには、どうすべきかを説いています。

 

 書中で時々著者は自らの出自に言及し、社会の発展と自身の今日迄の努力の歩みを述べています。思うにその言わんとする所は機会(特に教育の)が与えられ自らの努力でこれを活用した、自分自身を念頭において特にアカデミックでも何でも無かった家庭に育ちながら今日の名声を得るに至った原因は先述の通り一言で言えば機会と努力があったればこそ今日あると説明しています。つまりこの2つが上手く存在しなければ今日私達が直面している社会の格差や対立は解消し得ません。

 

 さて、そんな努力家の著者が唱える望むべき社会とはどんな状況を言うのでしょう。氏はまずイデオロギーに凝り固まった考えを排除します。左寄りの考えを「道徳的優越感を感じる為の怠惰な手法」、そして右寄りは「自らを現実的と感じる為の怠惰な手法」と批判しています。氏の言うプラグマティズムは「倫理的な資本主義の未来を探求する中道」の考え方で、これこそが右でも左でも無いイデオロギーで分断されて来た社会に安定をもたらすものと説きます。

 

 では、このプラグマティズムに基づく実践とはどんなものなのでしょう。著者は只単に経済学的視点からこれを議論するのではなく、色々な角度から見ています。つまり現実の矛盾を正し、より良い社会を作ることこそがプラグマティズムです。と同時に社会の参加者全員にとり生き易い環境こそが望まれるもので、これを実現する為に経済学のアプローチではなくまず倫理、道徳を著者は説きます。

 

 まずは自己があり、それの周りには家族があり、社会に出て働くに当り企業があり、それらの集合が国家となります。各々が持つ求められるべき倫理規範について著者は例を挙げて話を進めますが、つまり社会は構成員の相互協力援助で成立っているのだからこれを念頭に構成員は行動するべきと言います。自由競争の中では強い者が勝ち弱い者が負けるを常とします。この明確な事実の下では強い側が得をする社会になって仕舞います。こうならない為には相手に対する思い遣りがなければなりません。何も人と人との関係のみならず、国家間の関係も、国家と国民の間の関係でも他者への配慮が求められますし、これこそが社会における、あらゆる関係に必要なものと著者は主張します。倫理が大きな主題となっているこの本は経済の本と言うより公共の福祉が一義的テーマではないかとも感じられます。

 

 確かに著者は英国の労働党の社会民主主義を頭に画きながら求めるべき社会を構築しようとしているようです。英国社会の全体の富は今日の国民全体を潤すに足るものですが、その分配において大いに問題があり、と同時に人種間の軋轢が存在し、これらの対立に加えて都市間、持つ者持たざる者間の格差もありで可成り心配な国情をこの国は抱えています。著者が英国オックスフォード大学の教授ですから身近な英国の例を引いて成熟する資本主義がもたらす課題を示していますが、同様のものは今日の日本を含む先進諸国にも現に存在しているでしょう。

 

 この本では著者の専門の開発途上諸国における資本主義が生む矛盾についての議論はされませんが、これらの国とても早晩格差の問題は俎上に上って来るでしょう。と言うより実際は格差は存在しており、それも実は先進諸国以上に解き難い格差も多く見られる所ですが、それよりもまず何よりも何とかして富を増やす事こそ第一の目標ですから格差に注目する余裕は無いのが実情でしょう。とは言え「貧しきを憂えずして等しからざるを憂うる」の故事があります。経済の発展と分配の問題は貧困社会でも富貴社会でも不平等がある限り存在する永遠の課題です。

 

 著者は強い人道的な考えを基礎に弱者の目線から矛盾を見出し、その改善に挑戦しようとする強い意識には私は大いに感動します。又私などは社会の矛盾と対し、ついつい余りにも難問と感じ改革への意を滾らせる以前に諦めの境地に入り勝ちですが、そんな人にも未来指向をもたらす前向きな著者の議論に勇気づけられる学習の一時をこの本は与えて呉れました。

 正月休みに二冊今日の世界経済の問題に立向かう高名な経済学者の本を購入し、どちらも厚手でしたが何とか終章迄読み進みました。その一冊が「プログレッシブ キャピタリズム」(ジョセフ・E・スティグリッツ・東洋経済新報社)です。原書も同様の書名ですが、英語で読むとなるとどの位時間がかかるか判りません。学生時代ならいざ知らず今日の私の立場では何とか日本語訳で学ぶのが精一杯です。

 

 東西冷戦がベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の終焉を持って終り、共産主義を目指す国家はなくなり、資本主義経済が世界に遍く拡がって経済的には自由な交易を旨とするグロ-バライゼーションの時代になりました。米国はその強大な経済力をもって世界の隅々迄影響を与えるようになり、グロ-バライゼーションの恩恵を最も享受して来た国でした。勿論この国境を越えた自由経済で利益を得たのは米国のみならず日本を含む先進諸国もそうでしたし、未だ開発の進んでいなかった諸国もどんどん発展する現状が見られる様になりました。その典型が東南アジアの国々であり、後に急速の発展をしてあと十年もすればGDPでは世界一になるのではと思われる中国もその一国です。

 

 経済のグローバライゼーションにより世界中の国々が速度の差はあっても発展して来ていることは確かです。しかし各国でその発展の速度に差があると同様に、国内を見るとここでも同様に発展の利益を大いに得る人達とそうでも無い人達、又不幸にもこれ迄よりも利益が縮少している人達も出て来ました。「貧しきを憂えずして均しからざるを憂うる」とは論語の一説ですが、今まさにこの格差が米国を始めとする先進諸国で問題になって来ています。国自体は富を増やすが国民全員にその増えた富が均霑されていない、又は弱者はむしろ貧困になって行っているとの現状が見られるのです。

 

 今日の主役のスティグリッツは氏のこれ迄の肩書が示すように経済を文字通り経世済民の学と信じ、ボトム アップの精神で米国、そして世界経済の現状を正確に調べ、分析し、そして如何に改革すべきかを論じます。特に今回私が注意して読んだ場面はリーマンショックを克服してデジタル関連産業で世界をリードし、曲りなりにも低いとは言え2、3パーセントの経済成長で相変らず世界一のGDPを誇る米国が何故に異質な大統領の下で国民の意識がバラバラになり、豊かな経済下である筈なのに国民の間で不満が充満しているのか、この点をスティグリッツがどう説明し、解決手段を提示するのかを学ぶ点です。

 

 著者は私が浅薄な知識で知る限りはリベラルな経済学者(私流のこの評価は即ち富の産出のみならず常に富の公正な分配に思いを到す学者の意)です。明らかにサプライサイド理論を唱える側とは対立的で単純化して言えば、どの様にして富を増やすかより先づ何故富を増やすかを考えて富を得る策を講ずる学者とでも言えば良いのでしょうか。氏がかつて席を置いていた世界銀行の前身は国際復興開発銀行であり第二次世界大戦で荒廃した国々を再建する目的で発足しました。その後かつての植民地や、発展の遅れている国々を支援することが主要な責務になったのは御存知の通りです。著者は確かにこの使命を経済学者の主務と信じ、ノーベル賞をも獲得した明晰な頭脳を駆使して活動していると思います。

 

 御承知の如く民主化された戦後日本の経済成長の過程は多分に米国の辿った道の後追いの感がします。農林水産業を中心とする時代から各種工業製品を生産する時代、そして今日のサービスや無形の価値を生み出す時代へと全て米国の産業変化に追い付き追い越せで今日に至っているのが我国です。となるとその変化の過程で米国が経験した数々の問題とその解決に日本は好むと好まざるとに係らず会わざるを得ません。しかし米国に比し少しは楽なのは全く初経験の苦悩ではなく少なくとも米国の経験に学ぶことが出て、その分だけ解決も易くなるのでは無いでしょうか。

 

 この本から学ぶ事は沢山あります。著者は議論をすすめるに当たり先づ自らの基礎となる考え方を九つ示しています。この九点を基本にして本書を読み進める事により私は浅深はあるでしょうが私なりの理解を進める事が出来ました。その一は市場の力にのみ頼っていては豊かさを国民全員で享受出来ない、その二は国富は国民の持つ知識と優れた社会組織、民主的な社会があって初めて生まれる、その三は国富の増加と特定の個人の富の増加は正しい富の増加とはいえない(著者はレントとしてこれを説明している)、その四は分析、格差の少ない経済の方がうまく機能する、その五は豊かさ共有の為の政府の役割は国富の市場所得の当初分配と国の関与の再分配相方に配慮すべき、その六は経済、社会のルールが政府により施行される以上政治と経済を切り離して考えてはいけない、その七は旧来の経済制度に基づく価値観墨守はより高い理念の価値観を実行し難い、その八は脱工業化で生ずる矛盾原因は国民自らが生み出したもので、これの解決は国民が適切に対処する方法を見つけるべき、その九は包括的経済政策により成長の回復や豊かさの公平な分配は行いえる、以上九つの前提を理解しながらこの大部を私は読み進めて行きました。

 

 私からすれば著者のこの九つの提案は米国の経済を基本にして示されたもので、特にトランプ大統領の外交政策に関係する貿易、外国移民等の影響による実体経済を考えると米国内ではこれらの案に反対の人が可成り存在するであろうと思われます。しかしこれ迄の著者の主張からすれば何のブレも無い当然のものです。著者はアメリカ ファーストに賛同する側では無いのですから。

 

 著者は経済学者です。しかしこの本の議論には政治が入って来ます。それも選挙改革を始めとし、政治と金の問題にも言及していて読みながら私も反論したり納得したり、現実的な提言あり、理想に近過ぎる発言もありで、米国も我国同様信頼される政治とはとの議論が活発に行われているのを知る事が出来ます。

 

 私は常々「間違いを改むるに憚る事なかれ」を座右の銘にしています。故にこの大部からも耳の痛い話が数々出て来ましたので謙虚に受け留めたいと思います。スティグリッツの言は私には賛同出来る点がほとんどです。もしそうでもない点があるとすればそれは私の理解が足りないが故の事なのではないでしょうか。

 

 我国も今日では第三次産業で働く人が七割を越え、GDPを拡大しようとすれば一昔前のように製造業製品を輸出しての政策はもうきかなくなりました。米国、中国が覇権を争う最先端産業であるDX産業、これの発展に活躍を見出す事により経済再生を希求しようと我国は熱を入れています。前を行く二国に互する力が発揮出来ればこれ迄の低成長を脱皮して80年代のように華々しい成長を再び摑む事が出来るかもしれません。その為にはこれからの世代の人口を今少し増やし彼等に更に高い有益な教育を行うことです。著者も教育の重要性を強く訴えています。

 

 いづれにしてもこの本が教える所は米国の実情を通して我国が前車の轍を踏まない様にする事であり、又米国のような問題があっても我国も国民の英知と協力でこれを乗越え新たな夢多い地平線の向こうの豊かな地へ進むエネルギーを私達が持つ事です。

 

 スティグリッツ博士とは数年前TICAD7が横浜で行われた時の夕食会で席を同じくしました。ノーベル賞受賞者の余りに偉い学者さんですから私も気後れして一般的挨拶しかしませんでしたが、今思うと本当に残念です。次回こんな機会があれば勇気を持って国の繁栄と国民一人一人の豊かさ、つまり富の公平な分配について大いに聞いてみたいと思います。