(155)岡山県岡山市 桃太郎伝説の

吉備津神社と吉備津彦神社(分社)

◎吉備津神社(備中・一宮)・・本殿及び拝殿は国宝



実在性が高いと言われる第10代崇神天皇の時、吉備津彦命は四道将軍の一人である西道将軍として吉備国に赴き、ヤマト王権に反抗していた温羅(うら)一族を平定した。この伝えが桃太郎伝説となったらしい。吉備津彦はこの地に宮を営み281歳の長寿で亡くなり吉備の中山の山嶺に葬られた。そして第16代仁徳天皇が吉備国の采女(黒姫)を慕って、吉備国へ行幸した際、吉備津彦の功績を聴き称え、吉備国の祖神として奉ったのが始まり。平安時代に掛かれた延喜式に明神大社として記載されているとのこと。

□本殿(国宝)

大きさは幅17.7m、奥行14.6m、高さ12m、面積255m²の大建築で、京都の八坂神社につぐ大きさがあり、また出雲大社の約2倍以上の広さとのこと。

軸部は柱径48cmの円柱で高さ6mのあすなろ材を68本使用。

入母屋の千鳥破風を前後に二つ並べ同じ高さの棟で結び全体を桧皮で葺き上げ、ひとつの大きな屋根にまとめた、全国唯一である『吉備津造り』と云われている。




□拝殿(国宝)


拝殿は本殿の正面に接続して突き出した建物で、本殿と同時期の再建で幅1.8m、奥行き5.4m、高さ12m、面積は78.5m²。柱は本殿と同じ太さの円柱を用い、本殿同様他に例のない独特の形式とのこと。



本殿・拝殿は過去2回の火事によって焼失し、現在の本殿・拝殿は1425年(室町時代・将軍足利義満の時)に再建されたもの。 

◎吉備津彦神社(備前・一宮)



吉備津彦神社は吉備津神社が大化の改新以降、備前・備中・備後に3分社された際の備前一の宮として創建された。

現在の本殿などは1697年の江戸時代(元禄10年)に再建されたもの。



引用・参考/吉備津神社(現地案内板・HP)、吉備津彦神社(現地案内板・HP)