(147)宮崎県宮崎市 生目古墳群 

14号・21号・22号墳(前方後円墳)


生目(いきめ)古墳群は、AC300~500年代の間に、100m越えの前方後円墳3基をはじめ、前方後円墳や円墳が50基築造された。現在「生き目古墳群史跡公園」として整備され駐車場・トイレ・あずま屋が設置されており、写真映えも良い。




◎14号墳(前方後円墳・復元)
 
 

長さ63m、後円部直径38m・高さ4m、前方部長さ25m



後円部は不明だが、前方部は2段築成

周溝はなかった。

葺石は表面全体に葺かれていた。



壺型埴輪が、段のテラスに並べられていた。

5号墳の「きのこ」形埴輪より古いタイプと位置付けられている。




 

築造時期はAC375~400年ごろ(古墳時代前期の終わり・4世紀後半)

22号墳の次の代の首長墓と考えられ、規模が2/3に縮小している。


◎21号墳(最も小さい前方後円墳)

長さ36mで後円部2段



 

葺石はなく壺や壺型埴輪出土

この古墳が築造されてから半世紀後に周溝内に古墳を囲むように

13基の地下式横穴墓(5世紀初頭)が造られている。



 

築造時期はAC300~350年ごろ(4世紀前半)


◎22号墳(101mの前方後円墳)


長さ101m、後円部直径60m・高さ9.2m



後円部3段、前方部2段築成で墳形は生目3号墳と相似形



葺石あり

墳頂とテラスに壺形埴輪が並べられていた。また土師器甕、高杯も出土



周溝内(幅8m前後、深さ0.7m前後)にコの字型の溝に囲まれた

「張り出し部」(長軸4m・短軸2.7m、高さ0.3m)と23号地下式横穴墓を確認

溝内から土師器の壷形土器、高坏、小型丸底壷 が出土

築造時期は、AC350年ごろ(4世紀中ごろ・古墳時代前期)で、

3号墳と前後すると判断されている。

23号地下式横穴墓が、22号墳被葬者に追従する者の墓であれば、

 23号地下式横穴墓が4世紀代に遡る可能性がある。

引用・参考/現地案内板・宮崎市教育委員会発行「国指定史跡生目古墳群ガイドブック」・宮崎市文化材調査報告書「史跡生目古墳群}PDF(H18宮崎市教育委員会)