(145)宮崎県宮崎市 生目古墳群 古墳時代前期で九州最大
生目古墳群は、宮崎市の標高25m、広さ9000㎡の丘陵上にあり、
AC300~500年代(古墳時代前期から後期)の間に、
100m越えの前方後円墳3基をはじめ、
前方後円墳や円墳が50基築造された。
古墳公園となっている。トイレやあずま屋も設置され、無駄な木は伐採されているので、
写真映えも良い。
◎1号墳(卑弥呼墓説も)
「邪馬台国は宮崎市にあった!」の著者・土田章夫氏は、生目1号墳を
卑弥呼の墓の可能性が高いと推察している。
理由は築造時期や墳丘規模・主軸の方向・殉葬の有無などを
検証した結果とのことだ。
それはさておいて、この古墳は最近発掘調査が行われ、
これまで生目古墳群の中で最も古い4世紀初めに築造された前方後円墳と
考えられていたが、墳形が4世紀後半に流行した形であることが明らかになった。
全長約130m・高さ17mで三段築成。
一説では箸墓古墳と相似形で、1/2サイズとも。
造られた当時は九州最大規模であったと考えられる
葺石は、発掘調査時に後円部でほぼ造られた当時のままの状態で発見されている。
特に後円部の三段目の斜面では、丁寧に波状に葺石が積み上げられており、
さらに古墳の中で最も崩れやすい頂上と斜面の境部分を区画する
石列が見つかった。これらは全国でほかに例がないとのこと。
埴輪や土器は確認されていないよう
埋葬施設は時期的に竪穴式だろうとおもわれる。
被葬者は日向を治めた首長か、はたまた卑弥呼なのか?
はてなブログの「オヤコフン」さんが実際に1号墳にのぼられた
ブログがあるので以下のリンク先をご覧ください。
「生目古墳群 1号墳 宮崎県宮崎市大字跡江}
https://massneko.hatenablog.com/entry/2020/05/12/000000
◎3号墳(古墳時代前期で九州最大)
3号墳は生き目古墳群の最大の前方後円墳で、古墳時代前期において九州最大。
墳形は前方後円墳で、全長143m、後円部高さ12.7m、前方部高さ6.5m
墳形がとてもきれいに残っていて墳丘の前方部から後円部まで歩くことができる。
葺石は格段の斜面にあった。
埋葬施設は地中レーダー探査によって後円部の深さ2m下に、
8m×4mの竪穴式石室があると推測されている。
築造時期はAC350年ごろ(4世紀中ごろ・古墳時代前期)なので、
1号墳より先に造られたということになります。
未発見がまだ沢山ある可能性も。
引用・参考/現地案内板・宮崎市教育委員会発行「国指定史跡生目古墳群ガイドブック」・「邪馬台国は宮崎市にあった!」(著者・土田章夫)