(137)大阪府南河内郡 磯長谷古墳群 山田高塚古墳
(推古天皇と竹田皇子の磯長山田陵)
磯長谷(しながだに)古墳群は、敏達・用明・推古・孝徳の4天皇陵と聖徳太子墓など約30基からなる古墳時代終末にあたる飛鳥時代の天皇中心の古墳群。
特徴としてめずらしい墳形の双方墳が二子塚古墳と葉室塚古墳に見られること。
◎山田高塚古墳(磯長山田陵・推古天皇と竹田皇子の合葬墓)
全長は東西59m×南北55mで高さ11m
墳丘は3段築成で表面は葺石ではなく貼石。
時代が新しいので埴輪は無いようだ。
埋葬施設は天皇陵のため明らかでないが、前回ご紹介の二子塚古墳と同様に
横穴式石室が東と西の両方あり、かつ南方に開口していると推定されている。
被葬者は宮内庁より第33代推古天皇(628年崩御)および子の竹田皇子(崩御年不詳)の
合葬陵とされている。
築造時期はAC650年ごろ(7世紀中・古墳時代終末期・飛鳥時代)
引用・参考/現地案内版・ニッポン旅マガジン(一社プレスマンユニオン)・Wikipedia