(136)大阪府南河内郡 磯長谷古墳群 二子塚古墳(双方墳)
磯長谷(しながだに)古墳群は、敏達・用明・推古・孝徳の4天皇陵と聖徳太子墓など約30基からなる古墳時代終末にあたる飛鳥時代の古墳群。
◎二子塚古墳(双方墳)
道沿いの畑の下から遠く不思議な墳頂が二つある双方墳がみれる。
廻りに家もないので様々な角度からの写真映えも良い古墳だ。
二子塚古墳から望む磯長山田陵(山田高塚古墳)
二子塚古墳(双方墳)は第33代推古天皇・竹田皇子の磯長山田陵(山田高塚古墳)と
谷筋をはさんで、ほぼ同時期の7世紀中ごろに丘の上に築造されている。
墳形は一辺約25mの方墳が二つ連なった全長約66mの双方形。
墳丘は3段築成
墳丘周囲に周溝あり
埋葬施設は小型化した横穴式石室がそれぞれにある。
東墳丘の石室は、長さ約5m・幅約1.80m・高さ約1.60m、
西墳丘の石室は長さ約5.30m・幅約1.50m・高さ約1.55mで、
壁面に漆喰が残る。
石棺は両方ともほぼ同型の刳拔き式で全長約2.2m・幅約1m・高さ約0.70m、
蓋は加工が簡略化された蒲鉾形。
度々の盗掘を受け遺物は小皿形土器・鉄釘のみ。
この古墳こそ、被葬者が第33代推古天皇(628年崩御)と竹田皇子で、
真の合葬陵墓とする伝承があるとのこと。
築造時期はAC650年ごろ(7世紀中・古墳時代終末期・飛鳥時代)
引用・参考/現地案内版・大阪府太子町HP「国指定史跡二子塚古墳」・Wikipedia