(134)奈良県天理市 大和古墳群

(西山塚古墳・西殿塚古墳)

大和古墳群は、総数約22基の前方後円墳・前方後方墳・円墳等で構成される

古墳時代初期の前期古墳群

 


 

その中で「山の辺の道」沿いから望めた二つの前方後円墳と珍しい前方後方墳をご紹介。

なお前回の波多子塚古墳は写真を撮り損ねており、

文章や現地看板のみで大変失礼しました。


◎西山塚古墳(前方後円墳)
古墳の池から後方部の墳丘を望むことができる。

墳丘は果樹園などに利用されている。



左が後円部


前方後円墳で、全長114m、後円部直径65m・高さ13m、前方部幅65m。



前方部を北に向け、墳丘は3段築成。

埴輪、葺石、周濠あり(当時は空堀の可能性)


埋葬施設は未調査だが過去に家形石棺が確認されている。

 
築造時期はAC500~550年ごろ(6世紀前半) 

宮内庁が、6世紀に実在したとされる手白香皇女の陵墓としているのが西殿塚古墳。
しかし築造時期が3世紀後半とされており時代が合わないため、この西山塚古墳の被葬者こそ第26代継体天皇の皇后であった手白香皇女のものではないかと言われている。

◎西殿塚古墳・手白香皇女衾田(ふすまだ)陵 

(大型前方後円墳)



山の辺のから見えるが大きな森としか見えず、写真映えしない!

宮内庁管理のため立ち入りも不可。

被葬者は継体天皇の皇后、手白香皇女(たしらかのひめみこ)の陵墓

「衾田陵(ふすまだのみささぎ)」とされている古墳だが築造時期が合わない。



 

前方後円墳で、全長230m、後円部直径145m・高さ約16m、

前方部幅130m・高さ11.3m

埋葬施設は宮内庁の管理のため確認されていないが、時代的に竪穴式石室と推定

築造時期はAC250-350年ごろ(3世紀後半~4世紀前半・古墳時代前期前半)
箸墓古墳の次に築造された古墳と考えられている。



引用・参考/現地案内版・天理市観光ガイドHP(天理市観光協会)・波多子塚古墳「後方部北側の調査成果」(天理市教育委員会)