1月も終わろうとしていますが、年末年始の出来事をメモ書き程度に・・

 

 

 

  12/23(祝)

 

愛媛から、いとこファミリーが久しぶりの来県。

叔母と従兄と従姉、従兄の奥様、各いことの子供たち、計8人。

我が家で立ち寄ってもらったあと、近くの中華料理屋で会食をしました。

子供たちがすっかり大人になっていました。

 

 

 

  12/27

 

知り合いの人(徳島県民)から、埼玉県三芳町周辺の特産品をいただきました。

なにかに応募して当たったらしい。

まずは武蔵野 落ち葉堆肥農法によって栽培された「紅はるか」という品種のサツマイモ。

 

箱に書いてある「川越いも」とは昔、江戸っ子が埼玉の田舎者をからかった呼び名だったと聞いたことがあります。

それを逆手に取ったブランド戦略かな?

 

似たニュアンスで、ホンダの初代プレリュードは「川越ベンツ」と揶揄されていたそうです。

(メルセデス・ベンツ『450SLC』に似ていたから)

 

あとは三芳町のなたね油と狭山のお茶です。

 

狭山にはホンダの狭山工場(現在は閉鎖)があったり、和光に研究所があったり、寄居には新しい工場があったりで、

なんだかんだホンダに縁のある埼玉県の、特産品たちでした。

 

紅はるかを薪ストーブで焼き芋にすると、密がたっぷり滲み出てきて美味しかったです。

 

 

  12/28

 

夜、妻の実家主催の食事会。

 

飲む気満々でこの日の朝はJRで出勤。

 

写真はあまりないけど、魚介類中心の構成でした。

 

この会が終わる頃、娘が徳島駅に帰省。

妻の運転する車で迎えに行きました。

久しぶりに会う娘ですが、

(酒で酔っていたので)欧米風に高速バスから降りてきた娘を軽くハグしましたが、特には嫌がられなかったのでよかった。

一言「飲んでる?」って。

「はい、飲んでます・・・。」

ごめんね。

飲んでなくてもできるようになりたいです。

 

 

  12/31

 

妻と娘と3人で、四季美谷温泉へ。

 

昼ゴハンをレストランで食べる時間はなかったので、

家から持参した おでん と おにぎり を外のテラス席でいただきました。

 

 

時間的リミットがあったのは、

夕方、小学校時代の小さな同窓会があったから。

 

同級生の実家。


県外から帰省する同級生が、

数ヶ月かけてセッティングしたイベントでした。

 

自分は地元に残った組なので、本当なら自分がきっかけになれればいいのだけど、なかなかそういうことができない性格です。

 

30年ぶりぐらいに会う人もいて、楽しかった。

 

後述する高校の同窓会とは違って、素直に参加できるのが小学校のいいところ。規模も違うけど。

 

 

 

  1/1

 

元日の朝は、娘を徳島駅まで送ることから始まりました。

正月早々にUターンするのは、夜にバイトを入れていたため。

 

送っていく道中で、AE86レビンに遭遇しました。しかも2台のランデブー。

年末年始、夜を徹してどこかで爆走してきた帰りだったのかもしれません。

 

黒のほうはリア下部にヤカンを吊り下げていたのですが、どういう意味か、わかりませんでした。

バンパーがないようだけど、法規は大丈夫なのかな?

 

 

娘を見送りました。

 

いつもは路駐なんかできない駅周辺の繁華な場所も、元旦は遠慮なく一時駐車できました。

 

 

クーペらしい流れるようなルーフからリアウィンドウ、トランクリッドへのライン、

なかなか写真でうまく撮ることができないのですが、

これならちょっと表現できたかも。

 

まったく混雑していない道路を一人で気持ちよく帰ってきました。

 

 

 

 

さて、元日の午後は、大晦日の同窓会に間に合わなかった同級生と会うために、

出身小学校に数名で再び集まりました。

 

 

気の利く仲間が、日本酒と紙コップを持参してくれてたので、乾杯。

 

小学校(閉校でなく現役)の敷地内で飲酒って褒められたものではないですが、

めでたい正月に卒業生のおっさんがすることなので、ま、いいじゃないですか。

 

 

さて、散開したあと、家に帰ると、

能登半島地震で日本中が大変な状況になっていました。

 

 

 

 

  1/2

 

能登の地震も、まだまだ被害の全容が明らかではありませんでした。

 

昼から、阿南市加茂町にある「お松大権現」という神社に妻と初詣にいきました。

 

 

ここは学問の神様でもあるので、

共通テストを控えた長男の健闘を祈りました。

 

 

 

実は、この日の午後は、高校の同窓会(学年全体)が開催されていました。

 

学年全体の大々的な同窓会は卒業してから初めて(のはず)で、案内にも「50歳になる節目に」と書かれていました。

 

自分は大学受験を控えた子供がいるからと欠席の返事を9月にしていました。

コロナやインフルをもらって帰ると困るからと。

 

でもそれは表向きの理由。

本当のところは、

人の自慢話・成功談を会費を払ってまで聞きたくもなかったから。

 

わかりやすい例ですが、

医学部を卒業して開業医をしているとか、

ベンチャーを起業して成功したとか、

一流企業の要職についているとか、

高収入な相手と結婚したとか・・・。

 

どうしても「仕事は何してる?」「結婚してる?子供は?」って話になるじゃないですか。

 

自分はそういうところからは程遠いところにいて、日々苦悩中です。

 

優しい人は「そんなの関係ない。同窓会ではみんな対等だよ」って言ってくれるでしょうが、

自分はそう思えないからどうしようもありません。

 

よくない思考だとは分かっていますが、同窓会に「行ける」けど「行かない」理由なんていろいろあるんですよねきっと。

 

 

実際、400人台前半の学年だったと思いますが参加は120人位だったようです。

 

幸い、高3で同じクラスだった10数名のLINEグループがあり、クラス幹事もいるので、

同窓会の様子がGoogleフォトのアルバムとして後日共有されました。

(便利な時代になったものです。つくづく)

 

行かなかったものの、どんな同窓会だったかは気になるもの。

500枚を超えるアルバムを見ていると、だいたいの様子が伝わってきました。

その場にいたかのような錯覚? 会費も払ってないのに悪い気もしました。

 

 

 

 

こんなふうに始まった2024年でした。

その後、1/6、大貫妙子さんの大阪でのコンサートへ行ったのですが

同窓会とコンサートを天秤にかけたとき(感染リスク)、

コンサートを選んだのも同窓会欠席の理由だったのを思い出しました。

 

 

 


余談ですが

 

現在、長男の大学受験の真っ只中です。

共通テストは体調不良もなく無事に受けることができました。

二次の出願も終わりました。

 

長女のときは二次は面接だけだったのであまり心配はなかったですが、

今回の長男は二次が記述試験で配点が共テよりも高いので、不安もあり落ち着きません。

これが多くの親が体験する普通の大学受験だとしたら、耐えるしかありませんね。

あとは本人の追い込みにかかっています。最後の伸びに期待しているところ。