今回、一番資料を集めにくく、一番、戦時中の三船ちゃんが知りたかった
熊本・熊之庄飛行場時代についてです。
最初に「戦時中の三船ちゃん」を書こうと思った時の動機が
「終戦時、熊本の特攻隊基地で特攻隊員の遺影を撮っていた」ということを
知ったからでした。
資料を集めていくうちに、前回の記述でも書いた「絆」を大切にしていたことから
自分よりもずっと若い特攻隊員の遺影を撮る仕事というのはどういう気持ちなんだろう。
と、いてもたってもいられない気持ちになったのです。
学校の教科書で、特攻隊員の方の遺影や写真(子犬抱いている写真が有名ですよね)など
は知っていたのですが、遺影を撮る人とまでは意識は全く動かず、ましてやカメラマン
に光が当たるということもなかったので、三船さんが少しでもそういうことをされていた
ということで改めて強く知りたい!と思いました。
まず、この隅之庄飛行場について少しお伝えできればと思います。
熊本県にある隅之庄町(くまのしょうまち)熊本の中部、下益城郡にかつてあった町です。
現在は合併して熊本市になっています。
正式名称は「隅之庄陸軍飛行場、別名:舞の原飛行場)」
昭和16年9月~18年 教育隊発足 19年 陸軍航空部隊発足(特攻隊)
昭和20年7月1日に次ぐ規模の大規模空襲を受け、8月10日、飛行場全焼。
これが最初に分かった隅之庄の基地情報です。
ってか!全焼!?え?
と驚きました。まさか終戦5日前に基地自体がなくなってたなんて。
しかも、これ多分、三船さん、まともに空襲あっているでしょう。
なんちゅう、こと。
これが資料が無茶苦茶少ない理由の一つです。(他に終戦時に資料がすべて処分された事も有)
語り部も熊本じゃあ少ないだろうし、役場に問い合せても何も分からないし、
これじゃあ何もわからないんじゃ・・・と肩を落としていましたが、
ただ一人、隅之庄飛行場について資料を残しておられる方と、
三船さん自身の雑誌のインタビューをかき集め、ようやく記事にできそうです。
飛行場の全貌を知ることができたのは
「隈庄飛行場工事の記録 熊本県下益城郡城南町舞原・旧陸軍飛行場記」
という、実際に飛行場の設計を担当されていた立山茂さんという方。
既に本を出される前に故人となられましたが、娘さんの立山ちづ子さんが資料をまとめ、
語り部の方のインタビューと共にまとめられました。
普通に販売はされていないので、熊本市立図書館か、国会図書館にしかありません。
さて、どうしよう。
あ、そうだ。
国会図書館まで行けばいいじゃん!
行ってきました。読んできました。コピーしてきました。
実際にいくらぐらいの兵隊さんがおられたかわかりませんが、昭和20年になるにつれ基地には
色んな部隊が来たらしいです。
多分、八日市基地の98部隊本隊から分隊でやってきた三船さんもこの時期に来られたと予想します。
基地は6つの飛行機格納庫、発電機工場、落下傘工場が連なり、2つの兵舎には
トイレ、洗面所、お風呂がついています。
兵舎から少し離れたところに炊事場が続いています。
さて分隊としてやってきた三船上等兵の役職は気象班。
なぜに気象班?写真班、炊事班でもないし、これは未だに謎です。
気象班が遺影までも撮るのでしょうか?しかしながら、終戦間近の基地では、役職関係なく、
力仕事させられたり、防空壕も掘っていたというので何でもアリだったのかもしれません。
「おう!お前、航空写真やってたのか?ならば、写真もやれ!」
なんて、言われてやってたんじゃないかと、勝手に予想。
少し長くなりそうなので、一度切りまして続きは後日にいたします。