コインランドリもいっぱいで 洗濯ができず「着たきり」の状態。
私たち夫婦はいいけど 子供たちは着替えさせてあげたいと、まだ下の子はトイレトレーニングも完璧じやなかったので失敗もあって・・・
そんな時 主人が職場へ水をくみに行くのに義母がついていった。
職場に義母が使っていた洗濯機を持って行ったらしい。
で・・・
帰ってきた義母の手には・・・・
自分たちと義姉一家の洗濯物が・・・主人の職場で洗濯してきたらしい。
誇らしげに 庭に洗濯物を干して「やっぱり洗濯すると気持ちええね」と
私に話しかける。
悲しくて悲しくて・・・この人が主人の母なんだと思うと悔しくて
私のぶんはいいけれど せめて孫である子供らの洗濯物
「洗濯しにいくけれど子供らの物一緒に洗おうか?」の一言も言ってもらえなかった。
そんなにも嫁である私が嫌いなんだと思うと自分の存在が「悪」であるかのように
思えた。
12人もいる 1つ屋根の下でいつも私は孤独だった。
子供らく 洗濯もしてあげられない お風呂にも入れてあげられない
自分が「無」であると感じたりもした。
夕方 乾いた洗濯物を取り込み「沢山ほしたから気持ちいいわ」とたたむ義母の横で
子供らも洗濯をたたむ手伝いをしていた。
自分たちの洗濯物は1つもないと言うのに。
今でも「震災」と聞くと このシーンを思い浮かべる。