昭和の名優がまたこの世を去った。映画「青い山脈」など数々のヒット映画に出演し、“永遠の二枚目”と呼ばれた俳優、池部良(いけべ・りょう)さんが、敗血症のため都内の病院で亡くなった。92歳だった。葬儀は親族だけで済ませ、後日、お別れの会が開かれる予定。
所属事務所によると、1カ月前から体のだるさを訴えて入院。美子夫人が泊まり込みで看病を続けていたが、容体が急変し、8日午後1時55分、静かに息を引き取ったという。
池部さんは1918年2月11日、東京・大森生まれ。立教大在学中に東宝撮影所のシナリオ研究生となり、41年、映画監督を目指して東宝に入社しが、甘いマスクが関係者の目にとまり、俳優に転身した。
人気を決定づけたのは49年の映画「青い山脈」。当時31歳で18歳の旧制高校生役を演じた。その後も年下の好青年役が多く、“万年青年”とも呼ばれ、青春映画や文芸映画で活躍した。
転機はヤクザ役を演じた64年の映画「乾いた花」(篠田正浩監督)。高倉健(79)とのコンビで一世を風靡し、中でも70年の「昭和残侠伝 死んで貰います」では、池部さんの「ご一緒、願います」のせりふが流行語になった。
長年、日本映画俳優協会の代表理事を務め、晩年は文筆家としても活躍。エッセイにはことに定評があった。
それにしても、この1カ月で、小林桂樹さん(享年86)、池内淳子さん(同76)と、戦後の日本映画を彩ったスターが相次ぎ世を去った。特にこの3人は松本清張氏原作で1965年に公開された東宝映画「けものみち」では共演。池内さんが主演、池部さんと小林さんは準主演だった。邦画ファンには悲しい秋となりそうだ。
8日に敗血症のため92歳で死去した俳優の池部良さんの悲報を受けて、池部さんがエッセーを連載していたタウン誌「銀座百点」の編集部は12日、12月1日発行の12月号を「追悼号」にすることを検討していると明かした。
池部さんは昨年1月から同誌で「銀座八丁おもいで草紙」を連載し、亡くなる直前の10月号まで筆をとっていた。編集部には未掲載のエッセーが1編残っており、遺族への了解を得て掲載したい意向。「池部さんは“来年も書くからね”と話しておられただけに残念です」と悼んだ。一方、ドラマ「男たちの旅路」シリーズで共演した水谷豊(58)は「主役とは何かを教えてくださったのは池部さんでした」とコメントした。
略歴
池部 良(いけべ・りょう)1918年2月11日、東京都大森生まれ。父親は画家の池部鈞。画家・岡本太郎さんはいとこ。立大英文科卒業。41年に映画デビュー。召集された軍隊では下士官待遇で、終戦時は中尉。戦後は「青い山脈」「暁の脱走」(50年)などに主演。60、70年代は「昭和残侠伝」シリーズでも活躍。映画出演作は150本以上。今井正さん、市川崑さんといった名監督に多く起用された。映画は「戦争と平和」「破戒」「早春」「坊っちゃん」「雪国」「暗夜行路」「けものみち」など、テレビドラマでは「華麗なる一族」、NHK大河ドラマの「独眼竜政宗」などに出演。
64年には映画製作を目的とした池部プロダクションを設立。「ベトナム戦争」などのメガホンを執り、米仏合作映画の参加オファーを受けるなど国際的にも活躍。しかし、67年にプロダクションが倒産した。
文筆家としても知られる。日本映画俳優協会の理事長も務めた。
俳優としての遺作は02年、岩下志麻が主演したNHKの月曜ドラマシリーズ「夏の日の恋」。ヒロインの義父役だった。08年に出演したテレビ朝日系「徹子の部屋」では俳優としての意欲を語り、オファーがあっても年齢を聞かれて、断られたことを明かしていた。
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20101012-OHT1T00075.htm?from=related
渋いお爺ちゃん役や脇役の演技派、「昭和残侠伝」シリーズ、映画やドラマも数多く出演していましたが、主演二枚目より、脇役を好んで演じていたそうです。「青い山脈」では、18歳の役を31歳で演じていたそうで、今も30歳すぎて高校生役の人もいるので、若く見えれば演技がうまい方がいいということで、昔から変わっていないことなんですね。
謹んでご冥福をお祈りします。