ドアーズ(The Doors)は、アメリカのロックバンド。ジム・モリスン(リード・ボーカル)、レイ・マンザレク(オルガン、キーボード)、ロビー・クリーガー(ギター)およびジョン・デンスモア(ドラムス)の四人で1965年から1970年代初めまで活動した。
ウィスキー・ア・ゴーゴーで人気を集め始めたバンドに目をつけたプロデューサー、ポール・A・ロスチャイルドによってドアーズはエレクトラ・レコードと1966年に契約する。
10分にも及ぶ大作「ジ・エンド」を含むデビューアルバム『ザ・ドアーズ』は1967年1月にリリースされる。アルバムは数日間で収録され、ほとんどの曲は第一テイクが採用された。モリスンとマンザレクは第一弾シングル「ブレイク・オン・スルー」用のプロモーション・フィルムを監督し、それはミュージック・プロモーションの重要な布石となった。「ブレイク・オン・スルー」では曲中の She gets high, という歌詞がドラッグの影響を表す物として放送禁止になることを恐れたエレクトラが、high の部分を消してリリースし長らくその部分を聞くことができなかったが、後にリリースされたリマスター盤で聞くことができるようになった。
アルバムはセンセーションを引き起こし、第二弾シングル「ハートに火をつけて(Light My Fire)」は大きなヒットとなった。
モリスンはそのルックスと、身体ラインを浮き立たせる革パンツでのステージ・パフォーマンスで当時のポップ界におけるセックスシンボルの一人となった。彼はいわゆる「ロックスター」であることに極めて自覚的であり、ステージでは革パンツで、セクシャルに立ち振る舞い、雑誌等のインタービューではメディアの飛びつきそうなキャッチーで過激な語句を使用するなど、マスメディアによるグループのイメージ構築を、意図的に、試験的に行っていた。しかし、人気が全米的なものになり、彼はスターとしての地位の中で次第にフラストレーションを感じるようになった。
ドアーズのライブ・ステージは挑戦的であり、反抗的だという評判を早々に得ることとなる。(裸になったりしたらしい)
『L.A.ウーマン』録音後の1971年にモリスンは休養することを決め、ガールフレンドのパメラ・カースンとパリへ渡る。モリスンは1971年7月3日にパリのアパートでバスタブの中で死体として発見されるという不可解な状況で死亡した。モリスンは公式には心臓発作と発表され、パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されたが、埋葬の前に検死が行われていなかったことがその後明らかになった。彼の死は恐らくヘロインの過剰摂取によるものであると考えられた。
モリスンの関係者であったダニー・シュガーマンの著書『Wonderland Avenue』によると、パメラ・カースンがモリスンに致死量のヘロインを注射したと、彼女自身がヘロインの過剰摂取で死ぬ直前にシュガーマンに語ったという。
ウィキペディアを一部引用させてもらって、ジム・モリソンの歴史を書きました。
私の言いたいことはわかりますね。
どんなに大人気のロックスターでも、薬を常用していると亡くなってしまうんです。
私は、あるファンの人がドアーズが好きで、大絶賛していたので好きなんですが、デビューして5年でリードボーカルが亡くなるなんてファンにとっては本当にショックですよね。
ジム・モリソンは、詩人で楽曲の詞を殆ど書いていて、映像作家で今のPVの魁でもあったそうです。27歳で亡くなるなんて本当に残念です。
ドアーズは、新たなボーカルイアン・シュベリーを迎え、現在はバンド名を「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」(アルバムの曲のタイトル)に変えて2007年に40周年を迎えたそうです。
私はオリバー・ストーン監督による1991年の映画『ドアーズ』(原題:The Doors)を見ました。モリスンを演じたヴァル・キルマーの演技が評判となったけど、映画は事実と異なる描写が多かったようです。
また、メンバーはストーンがモリスン像を自制の効かない精神病患者のように描いたことに対し不快感を表したとあります。
映画もかっこいいロックスターの苦悩が描かれているのでオススメです。
他にも薬で亡くなった海外のロックスターもいますし、日本でも明らかに不可解な死のバンドマンもいました。
もし、ファンの人が薬の中毒なんて嫌ですよね。でも、事情があると思うのでたぶんファンは止めないと思います。薬を止めるのを応援して復帰を待つと思います。
YouTubeは、1968年の映像だから白黒ですが、ジム・モリソンはライブでカメラも入って撮っているのに、自由で過激で尖っていた様子がうかがえます。そんな、ジム・モリソンにファンはメロメロだったんでしょうね。
The Doors – Light My Fire