江東区・深川は縦横に川や運河が流れております。
「水の都・下町のベニス」とも呼ばれておりますが、わたくしそのベニスに行ったことがありませんから、ベニスと言われてもピンと参りません。
一級河川・堅川(たてかわ)や小名木川(おなぎがわ)からの支流が、それこそ路地裏にも沿って流れていますから、間近に小魚や水鳥を見ることができる環境にございます。
今では水辺を楽しもうといろいろな工夫がなされておりますが、昭和30~40代のころは水害が考慮され、高いコンクリートで護岸が作られておりました。
高度成長期もあったためか川や運河の水質は悪く、魚も水鳥もいつの間にか姿を消してしまったように思います。
それが隅田川の水質改善が始まると、荒川・江戸川にも関心が高まって徐々にきれいな水が蘇り、護岸で釣りを楽しむ人も多くなって参りました。
その護岸も整備され、隅田川では川に沿って江東区から中央区、そして墨田区へと続く隅田川テラスとなって見事な変身を遂げました。
これから水辺で過ごすには気持ちの良い季節となりますからね、せいぜい運河に沿って散歩を楽しむと致しましょう。
今日は支流のそのまた支流に、カルガモの親子がのんびりと泳いでおりました。
「あれ?」…なんか変?カルガモの親子って、普通5~8羽ぐらいのヒナたちが親鳥を必死に追いかけている姿を思い浮かべます。
このカルガモの親子…ヒナが1羽しか見当たりません。
あ~!このヒナの兄妹たちは、もうこの世にいないのかなぁ~
カラスやヘビに襲われてしまったり、大きな鯉もおります…誤って飲み込まれちゃったのかも?
「こらこら!ヒナよ!親のそばを離れちゃダメだって!世の中には怖いことがたくさん待ち受けているんだよ!」
わたくし…十代のころ、母親に諭されたことを思い出します。
「いいかぃ?世間てぇもんは怖いよ。世間が放つ冷たい目も怖いってぇことを忘れちゃいけないよ。誰の目って判らないところがまた怖いんだ!そのへんのところをしっかりと覚えておかないと痛い目に遭うからね!」
わたくし…それからは世間に対して恐れを抱いて二十代三十代を過ごしましたが、それを過ぎると少しだけいい加減になりまして、50代で痛い目に遭ってしまい、やはり幾つになろうとも世間を相手に気を緩めてはいけないのだと知りました。
「ぼーっとしてんじゃねぇよ!」とチコちゃんに叱られそうですが、もうすぐ70となる今、そろそろ世間など気にせずぼーっとするのも、また良しかなと思うようにもなりました。
儚くも消えてしまった小さな命…1羽だけでも無事に巣立ってくれたらと思います。
名残のイチゴと走りのビワ…長崎産のこのビワの味も、なかなか儚げであります。
子どものころ、永代通りにもビワが生っておりまして、遊び疲れて喉が渇くとこのビワをもぎ取ってかぶり付いたことを思い出します。
子どもには、このビワの良し悪しなど判ろうはずがありません。
種だけが多くて、わたくしあまりにも慌ててビワの種を呑み込んだことがあるのですが、お陰様で大事に至らず、今日まで生き延びております。
あの種…消化されたのでしょうか?
鳥ならば実を突ついて種は残すでしょうが、地に落ちたビワを食べる獣は呑み込んでしまうでしょう。
相変わらずの儚げなお味…昔、種なしビワを開発しようとしたニュースや記事を読みましたが、どうなったのでしょうか?
今日ビワを食べてみて…品種改良はムリだったのかなぁ~と思いました。
スイカは種なしスイカもありますが、面白い統計記録を見たことがございます。
日本人はスイカの種を面倒くさいとは思わず、むしろ赤いスイカに黒の種がある方がスイカらしくて良いとの報告だったように覚えております。
いやいや日本人の感性って大したものだと改めて思ってしまいました。
ビワの種…実に対してこれだけ大きい種は、やはりもう少し小さくして欲しいとは思うのですが、これも我が国・日本人はビワの種も現状で良しと判断するのでしょうか?
そろそろ千葉県のビワもの出荷が始まる時期でございます。
永代通りのビワの樹…とっくの昔に切られてしまいました
残念…
『ひとり居のともしび色の枇杷食べる』
(ひとりいのともしびいろのびわたべる)
細見綾子