東京都江東区・深川は23区の東部に位置し、いわゆる下町エリアの一角を担っております。
大きな川・2本に挟まれ、隅田川を渡れば中央区へ、荒川を越えれば江戸川区へ、そのいずれも東京湾に流れ着き、やがては広い海流となって大海原へ。
街中(まちなか)を縦横に流れる運河に囲まれ、まさに水辺の街・東洋のベニスとも呼ばれ、この地に産まれ育った・わたくし…ちょっと鼻が高くなっております。
今朝はだいぶ冷え込みまして、手袋やらマフラーをまた取り出したりと町内清掃へ出掛けるのに少々手間取ってしまいました。
本日・3月10日は「東京大空襲忌」…わたくしの母方の祖母の命日でもあります。
祖母は当時、東京市京橋区(現・中央区京橋)で空襲に遭い亡くなったと聞いています。
竜巻のごとくの火に追われ、どこへ逃げたものか…どこで命が尽きたのかさえ判らぬということでした。
焦土と化した下町のそのほとんどがアスファルトやコンクリートの下に押さえ込まれてしまいました。
昔から下町に住む人たちは、きっと朝早くから街を掃き清めているかと思います。
祥月命日ですものね、ゴミひとつ落ちていない街にしてあげることも供養だと思っています。
江東区・湾岸から門前仲町を走り抜ける首都高速9号深川線。
その高架下に「戦災殉難者慰霊碑」が建てられています。
町内の清掃が終わったらお参りに行きましょう。
きれいに掃かれた露地から露地へ…もう先に花が供えられていました。
乾燥が続いていますから、お線香は控えておきましょうか。
祖母のお骨がないお墓参りにも行って参りました。
今年も従兄妹たちとは時間をずらして行くことと打ち合わせが済んでおりまので、こちらも手ぶらで…
写真でしか知らない祖母に手を合わせます。
あの大空襲で焼かれ、まだ熱を持った街にそう日にちを置かずに雪が降ったと判る俳句や和歌が詠まれております。
春の淡雪であったことでしょう。
『墓一群「三月十日歿」と雪に』
(はかいちぐん「さんがつとおかぼつ」とゆきに)
加藤楸邨(かとうしゅうそん)