今年の東京は枯れ葉・落ち葉の中に、散った山茶花(さざんか)の花びらが重なり、とても華やかな冬の光景になっているように思います。

白の山茶花も清楚で良い出のですが、やはり淡紅色(たんこうしょく)の花にはほっとする暖かさを感じます。

暖色のこの山茶花を見ておりましたら…母親のネルの腰巻・裾除け(すそよけ)を思い出しました。

わたくしの母親は関東大震災が起こった大正12年産まれ…存命ならば…あれ?ハテ幾つになっているのやら?

昭和・平成を経て、令和の今、数えることもチト難しく、日本独特の元号と合わせて西暦も頭に入れておかねばなりませんことを痛感!

そんな母親ですから普段着でも着物に割烹着姿で過ごしておりました。

もちろん木綿で仕立てた着物でありますが、季節ごと解いては洗い張りをし、また仕立て直すを繰り返し、それは大事に扱っていたことを覚えています。

なにしろ深川の下町でしたから庭なんぞはございません。

露地裏に長い板を立て掛け、解いて布となった木綿を貼り付け、残りご飯でこさえた糊を刷毛で伸ばし陽に当てたものでした。

乾いた木綿布は夜なべ仕事で、ホントひと晩で着物に仕立て上げていたように思います。

その他に半幅帯から半襟、襦袢(じゅばん)に腰巻…腰紐さえも人の手を煩わせることなく自分で縫っておりましたが、さすがに足袋を縫う腕はなかったようで、商店街にある呉服屋さんで福助の足袋を買い求めていました。

わたくしも10歳位の頃から針を持たされ、毎晩、延々と運針をさせられました。

「浴衣ぐらいは自分で縫わないでどうすんだぃ?そんな持ち方じゃ針が前に進みたくたって進めやしないじゃないか!ご覧な、針が泣いてるよ。モタモタしてるってぇっとね、お前の背の方が早く伸びちまって仕立て直しをしなきゃいけなくなっちまうよ」

よく竹の物差しで手の甲を叩かれたものです。

あの時のリベンジ、まだ返してないっ!

この時期になりますと母親は倹約に精を出し、どこからか暖かなフランネルの生地を調達!

茶の間の炬燵の横に裁縫台を広げ、それこそあっという間に1枚・縫い上げておりました。

その腰巻・裾除けの色は、子どものわたくしから見ても艶(あで)やかな椿を映した赤であったり、山茶花を匂わす桃色であったりと、昭和の蛍光灯が灯る部屋の中で、そこだけ暖かそうで、それでいて妙に色っぽく感じたものでした。

目の前の山茶花も、まさか腰巻の色と重ねられているとは夢にも思っていないでしょう。

けれども、おかげ様でわたくし、忘却の彼方に忘れ去っていた母親の腰巻を思い出すことができ、暫し豊かな心持ちになれました。

納戸に置いてある母親の形見・桐の箪笥には銘仙や遠州木綿で仕立てた着物が納められたまま、もう長い年月が経ちました。

縫い目のひと針・ひと針が母親の手に成るものと思えば懐かしさを通り越して、ちょっと切ない想いも過ります。

着物の始末…もっときちんと訊いておけば良かったと、後悔を先に立たせて後から見れば…でございます。植え込みに咲く山茶花、まだまだ蕾もたくさん付けておりますから、朝の散歩のお楽しみがひとつ増えました。

今日のお八つはレアチーズケーキ。カップの絵柄は、もちろん山茶花です。

 

『また逢へた山茶花も咲いてゐる』

(またあえたさざんかもさいている)

種田山頭火(たねださんとうか)