朝の散歩…頑張っております!

携帯の万歩計・約5000歩を歩いたら、もうお腹がペッコペコ。

それにしましても冷蔵庫の食材が残り少なくなって、何んとも心細い日曜日となってしまいました。

ここからが我慢のしどころ、腕の見せどころです。

ナスを油で焼いただけ…腕が疲れてしまうほどの出来栄えとなりました!

ショウガを添えて、熱々を頂きましょう。

それなりに…「うまぁ~

朝食を食べ終わってぼーっとしていると…固定電話が鳴りました電話

『もしもし?私ぃ~ヒマだよねぇ~あーた毎日何してるのぉ~?』

大手不動産会社に勤めている友人からの電話です。

「何って…本を読んでんのよ!朝にね、チョコッと散歩しに行くけどね、あとはずーっと籠りっきり。あーたこそ何やってんのよ?テレワーク、導入されてんでしょ?」おとめ座

『うん。歳・食ってる管理職がいち早く自宅待機になっちゃってサ、働き盛りの社員がコロナウィルスの危険に晒されとるよ』

「天下の三井がネットツールも導入してないの?テレビ電話とかネット会議とかサ」おとめ座

『そんなのはコロナの前から、もうとっくにやってるわよ。現場への遠隔作業サポートとか、オンラインセンターで研修済ませちゃうとかね。でもサ、頭がキレて仕事が出来る社員や上司ってのはね、そばでその仕事ぶりを見てこそ勉強になるっていうかねぇ~あんのよ、そういうのが…』

「応用とか機転が利くってこと?」おとめ座

『そう!そう!それ。おじさんだろうが年下だろうが、早くチーム組んで仕事がしたいわ』

「あーたこそ、毎日・何やっとるのよ?」おとめ座

『ほら、三島由紀夫・観に行くって約束したじゃない?それで若い時に読んだ三島由紀夫の本、最初から読みなおしてんの!』

三島由紀夫vs東大全共闘』…3月20日・公開と同時に観に行く約束をしておりましたが、コロナウィルス感染拡大防止の影響で泣く泣く諦めた作品でした。

公開していた映画館「日比谷シャンテTOHOシネマズ」は「非常事態宣言」が発令する前に、すでに休館を実施しておりました。

1969年5月13日・東大駒場900番教室で行われた、作家・三島由紀夫と東大全共闘との討論会。

その全貌が50年の封印を解かれ、今・やっとわたくしたちが目にすることが叶う…と友人たちと心待ちにしていたドキュメンタリー作品でありました。

『映画館、いつ再開するのかなぁ~』

「50年待たされたんだからサ、あと1年や2年、公開が延びたからってどうってことないわよ」おとめ座

『う~ん、まぁ~そうだけどぉ~あの時の圧倒的な熱量がサ、三島由紀夫が生きなかった60という年齢に私たちがなって、その声と発する言葉が、私たちの精神に微かでも何か変化が起きるかなぁ~』

「起きても起きなくても、三島由紀夫が発する言葉を聴いたら感動するかも!三島由紀夫の声だよ、声!おとめ座

学生運動が激化していた東大駒場キャンパスで待ち受けていたのは1000名を超す学生たちでした。

バリケードを大学構内に張り巡らし、元々・訴えていたのは学生擁護であったと聞き、そのリーダー・まとめ役に引っ張られたのだと8つ違いの兄に説かれたのを思い出します。

「私立大の学生は授業料・値上げに反対して結束したんだよ。全学連もそのころ盛んに決起集会してサ、授業どころじゃなかったぜ」

『三島由紀夫を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる』…武装化した学生たち集まる900番教室は異常なテンションが充満していたと聞いていました。

三島由紀夫は警察が申し出た警護も断り、身ひとつで敵地へ乗り込んだと言われています。

数人の「盾の会」のメンバーはいたでしょうが、言葉の応酬で立ち往生させると意気込むあたりは、さすが東大生・代表の論客であります。

煙草を吸いながら不敵さを含んだ態度で、稀代の天才作家・三島由紀夫を相手に、どう論破するのか…

元・東大全共闘、三島と交渉のあった著名人、盾の会メンバー、三島文学を愛する文化人ら13名が、50年経った今だからこそ話せる「あの日・あの時」を語ってくれる内容とありますので、期待・大であります。

  

『三島由紀夫って、生きてたら幾つになってんの?』

「…90・4、5歳?」おとめ座

『うっへぇ~!そうだよねぇ、享年45だもんね。大正産まれってことかぁ!』

三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたのは、わたくしが15歳の時。

それは「した」のではなく、まさに「遂げた」のだと、三島由紀夫の作品を読んで思ったものでした。

耽美的な文章と多様な修飾語駆使した作風が特徴と評されている三島作品の数々…

『読み直してみるとサ、ホントにきれいな日本語なんだよねぇ~当時は市ヶ谷で拳(こぶし)を挙げて演説している姿と重ならなかったけど、作品を読み進めていくと言葉が熱いんだよね!人間の人格って幾重にも折り重なって形成されてるんだなって…十代の終わりにサ、ぼんやりと思ったよ』

「うん。ぼんやりとしか解らなかったね。この東大・討論会って、割腹自殺する1年前のことじゃない?何としても観たいドキュメンタリーだね!作品も良いけどね、友人とか先輩作家へ送った書簡ね、耽美な短編作品を読んでいるようで心に響くよ」おとめ座

築地・本願寺での葬儀では、川端康成が葬儀委員長を務めたことは新聞で大きく報道されました。

ドナルド・キーン氏が後々のこと心配した周りの忠告に従い、葬儀に参列しなかったことを深く後悔したと記された記事を読んだ覚えがあります。

「わたしも…三島由紀夫・1巻から読みなおしてみようかなぁ~」おとめ座

本棚の全集の1巻を引き抜き、その重さに少し、覚悟のようなものを試された気が致しました。

今なら…大丈夫!三島由紀を読んでやる!だって…三島より20年も長く生きて来たのだもの、三島由紀夫が見なかった年月を駆使して読んでやるぅ!

『感想、言い合う楽しみが出来たわ!今日・電話して良かった!またね』

「うん。電話だったらサ、いくら唾飛ばして討論しても平気だもんね!あーたの三島論、ぶち壊したるわ!声聞けて嬉しかったよ、ありがとね」おとめ座

三島由紀夫の「辞世の句」はふたつ。

あまりにも簡潔…然しながら読み込んでいくと、あぁ~日本人の魂がここに詰め込まれていると感じられる句であると思います。

 

『益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜』

(ますらをがたばさむたちのさやなりにいくとせたえてきょうのはつしも)

 

『散るをいとふ世にも人にも先駆けて散るこそ花と吹く小夜嵐』

(ちるをいとうよにもひとにもさきがけてちるこそはなとふくさよあらし)