その昔…わたくしが子どものころの昭和30年代、40年代のごくごく普通の庶民の生活と言いますと、衣食住について、況してや医療に関する事柄となりますと、きちんとした科学的な知識・根拠に基づいての暮らし振りではなかったように思います。

その代わり長年に亘って言い伝われて来た知恵や、重ねに重ねた工夫があったことは、科学と言う枠を越えて認めざるを得ぬことでありましょう。

わたくしの母親は新しい瀬戸物を買って来ますと、お皿や小鉢、湯呑みや豆皿など陶器に限って、大鍋で水から煮立て煮沸をしておりました。

「使う前にね、こうやって1度、ぐらぐら煮ておくと割れにくくなるんだよ。よぉ~く覚えとき。分かったかぃ!」

下町・深川では当たり前のようにしていたことでした…今になって、学校で習った科学を思い返してみますと1000度の高温の窯で焼き上げた瀬戸物を100度の温度で煮沸しても、なんら変わりがないと言うか…まったくの無駄であったと思うのですが、まぁ~下町では庶民のお呪いのようなものであったのかも知れません。

陶器ですと細かなヒビにでんぷんをしみ込ませるため、お米の研ぎ汁やお鍋にほんのひと摘まみの小麦粉を入れていたような記憶がありますが、あとになってカビのもとになるからと言う話をどこからか耳にした・あの頑固な母親が素直に聞き入れ、それでも相変わらずぐらぐらとお皿や器をお湯で煮ていた姿を思い出します。

  

さて…先日、わたくし鎌倉まで出掛け、陶芸家・中川弥生ちゃん作の小鉢と湯呑みを買い求めて参りました。

展示即売会は、その人柄を表すダイナミックな絵付けが人を惹き付け、とても盛況な会でありました。

わたくしは、まだ1000度の熱をその内に秘めているような器と湯呑みを包み込むようにして我が家へ迎えました。

今夜はミニ・ステーキ丼にして器に盛ってみました!

お肉はバターソテー用のちょっと薄いお肉ではありますが、ニンニクを利かせてしっかりとした味付けに仕上げました。

先に温めておいた器に、炊き立ての艶々のご飯にふわりとのせ、焼き上げたタレを絡ませて…「ハフハフ!」

小振りな器は手の平にすっぽりと納まるので、安定感バツグンです。

  

どちらも鳥の絵柄ですが、白と茶の色使いで、こんなにも違う印象を放っています。

吸い口が広くなっている湯呑みには、お味噌汁を注いでみました。

やはり陶器の良さであります、最期まで温かさを保ってくれていました。

「お代わり、いっちゃおうかなぁ~」

器の側面にも鳥が伸び伸びと飛んでおります。

「あっ、そうだ!」

これも母親が教えてくれたこと…「ちゃぶ台や塗り物のお盆を傷付けちゃうからね、底の高台(こうだい)をヤスリで滑らかにしておくのも忘れちゃいけないよ」

器の底との接地面(せっちめん)の部分はざらざらとしていて柔らかな塗り物を傷めてしまいます。

細かなサンドペーパーで磨いておくと、その心配がないとの昔ながらの知恵でありましょう。

新しい器の棲家を考えなければなりません。

肩身の狭いを思いをせぬように、ふたつ一緒に並べて置きますか…鳥の絵柄ですから、少しでも空が見える明るい場所にしましょうか。

飛んで行ってしまわぬよう、ガラス戸をしっかりと締めるのを忘れてはなりません。